第六章 忠実なしもべ

ジェシー・ペン-ルイス

モーセは、しもべとして神の家全体のために忠実でした。
(ヘブル人への手紙三・五)

モーセがエジプトの地に戻る時の歩みについては、その旅の途中で起きた出来事についてだけコメントする必要があります。

神は、旅路にあるモーセに対して、彼の妻と幼い子供たちに関する御旨を、はっきりと示されなかったようです。私たちはモーセが自分の家族を連れて旅に出たことしか知りません。おそらくそれは、モーセにとって「当然のこと」だったのでしょう!しかし、神は御旨を「当然のこと」とはされません。神は私たちをしばしば厳しく取り扱わなければなりません。それによって私たちは、自分があることについて一度も主の御旨を求めなかったこと、そして本能的に己の道を突き進んでいたことに、気づかされます。毎瞬真に神に依存して生きることを学ぶのは、たやすいことではありません。主はモーセに、「行きなさい。あなたの家族を連れてエジプトに戻りなさい」と告げることもできたでしょう。しかし、主はそうされませんでした。

主はモーセが家族を連れて旅に出ることを許されました。ところが、聖書は告げます。「さて、途中、一夜を明かす場所でのことだった。主はモーセに会われ、彼を殺そうとされた」(出エジプト記四・二四)。明らかに、モーセは割礼に関する神の戒めを守っていませんでした。おそらくそれは、彼の妻であるチッポラが反対したためでしょう。しかし、真実な神は御旨からの逸脱を一つたりとも見過ごせませんでした。神はモーセの上に御手を置かれました。そのため、彼の妻はその原因を認めて譲歩せざるをえませんでした。こうしてモーセの命は助かりました。

おそらくモーセは、この厳しい訓練を通して、自分が一人でエジプトに行かなければならないことを悟ったでしょう。なぜなら、この世の力との厳しい戦いにチッポラが耐えられないことは明らかだったからです。この世の背後には暗闇の力が控えています。彼女が語った苦々しい言葉は、彼女がイスラエルに対するモーセの務めの妨げになりかねないことを明らかにしました。そこで、モーセは一時の間、家族をイテロの顧みの下に帰しました。そして、彼は一人で未知なるものに向かって進みました。

一度に一歩です。一日に一歩進めば十分です。主の御前に立った時、モーセはすべてを見通していたわけではありませんでした。エジプトに行く途中、アロンが神から遣わされてモーセと会いました。そして、彼らは一緒にイスラエルの長老たちのもとへ行き、務めを開始しました。「すると民は信じた!」[1]。神は約束をすべて果たされました。その結果、民は信じただけでなく、「ひざまずいて礼拝」したのです[1]

神がイスラエルを解放された素晴らしい物語の詳細は省きます。これから先は、モーセの神との歩みの特徴について、簡単に見ていくことにしましょう。

1.絶対的で徹底的な神への従順

モーセは神が語られたとおりに行い、それ以上のことをしませんでした。彼は何度も何度も神のもとに行きました。初期の務めの結果、彼は激しく試みられました。ついに、信仰の戦いが耐えられないほど厳しくなり、彼は言いました。「主よ。……何のために、私を遣わされたのですか?私がパロのところに行って、あなたの御名によって語ってからこのかた、彼はこの民に害を与えています。それなのに、あなたはご自身の民を少しも救い出そうとはなさいません」(出エジプト記五・二二~二三)。

それは厳しい試みでした。もしモーセに、神との交わり、確かな召命、神の御旨に関する知識が無かったなら、彼は落胆していたでしょう。しかし、モーセは「信仰から信仰へ」進みました。試みを通して信仰が成長していきました。ただ試みを通してのみ、信仰は成長して成熟することができます。そしてついには、望みえない時に望みを抱いて信じ[2]、あらゆる障害物の前で「それは必ず成就する」と言うまでになります。

今や神は、抑圧されている民のために、さらに明確なメッセージをモーセに新たに与えられます。アルファでありオメガであるエホバなる神[3]は、「わたしは……する」と七回語られました(出エジプト記六・六~八)。アブラハム、イサク、ヤコブは、「エルシャダイ」、すなわち祝福を注がれる方として、神を知っていました。しかし今神は、エホバ、義なる神として、罪を裁く聖なる神として、ご自身をイスラエルに啓示されます。

神はモーセに解放を約束されました。モーセはこの解放の大憲章を携えて、苦難の中にあるイスラエルのもとに戻りました。しかし、民の苦しみは大きく、モーセに耳を傾けることができませんでした。彼らは悲しみのあまり、注意を払えませんでした。今、モーセに何ができるでしょう?どうしたら苦しんでいる民を元気づけられるのでしょう?モーセは苦悩したにちがいありません。モーセはイスラエル人を解放するために神から遣わされました。それなのに、彼はイスラエル人の苦しみをかえって大きくしてしまいました。この期間、モーセには神を信じ抜く信仰が必要でした。イエスは、ラザロが病気だと聞いてから、なお二日同じ場所に滞在されましたが[4]、その時に主が持っておられた御父を信じる信仰と同じ信仰が、モーセにも必要でした。

あなたが携えている神からの解放のメッセージが、解放のかわりに火のような苦難をもたらす時、その苦難に遭う人々はあなたを非難するでしょう。その時、あなたは忍耐して主の時が来るのを待ち、主の許しがあるまで行動や発言を控えなければなりません。また、あなたは火のような試練がますます激しく燃えさかるのを、黙って見ていなければなりません。これこそ真に「主の苦難にあずかる」ことです。ああ、これはとてもつらいことです!しかし、ただこうすることによってのみ、私たちはキリストの苦難にあずかることを学べます。主はラザロの墓で深い憤りと心の動揺を感じました[5]。その時の主と同じように、私たちも深い憤りと心の動揺を感じつつ主と共に待ちます。やがて必ず、苦しんでいる人は主の声を聞き、主の復活の力によって新しいいのちによみがえらされます。

このように、モーセは苦しむ人々のために苦難を受けました。四十年前のモーセは、同胞たちの労役を見て憤慨し、エジプト人を打ち殺しましたが、このような苦難は決して経験しませんでした。かつてモーセは苦難にあずかることができませんでしたが、今はできます。おお、モーセはなんと苦しんだことでしょう!彼は主に向かって叫びました。「あなたはご自身の民を少しも救い出そうとなさいません」。イスラエルが過酷な束縛の下で抑圧されていたため、モーセの心は晴れませんでした。主が、再びパロのもとに行くよう、モーセに命じられた時、彼は意気消沈して答えました。「ご覧ください。イスラエル人でさえ、私の言うことを聞こうとしないのです。どうしてパロが私の言うことを聞くでしょう」(出エジプト記六・十二)。

エホバはこの訴えに何も返答されませんでした。なぜなら、問題はすでに解決されつつあったからです。エホバはただ、モーセにパロのもとに行くよう命じ、「見よ。わたしはあなたをパロに対して神とし、あなたの兄アロンはあなたの預言者となる」[6]と仰せられました。これは、モーセが神の力と権威を帯びて、神の代わりに異教の王の前に立つことを意味しました。

このあと、「主が命じられたとおりに彼らは行った」(出エジプト記七・六等)という記述が繰り返し出てきます。彼らは一歩一歩従わなければなりませんでした。モーセとアロンの二人は、静かに、忠実に、神の指示に従いました。神が御言葉を実証されるたびに、どれほど彼らの信仰は増し加わったことでしょう!神の力の最初の現れは、モーセが以前見た、杖を蛇に変えることでした。そしてそれ以降、信仰の成長に応じて、奇跡はますます偉大なものになっていきました。

神は最初の三つの天罰をパロに下す時、あの小さな杖を使われました。しかしその後、神はモーセに「主はこう仰せられる」と告げるよう命じ、杖を使わずにその御言葉を実行されました。なぜ神は杖を使うのやめたのでしょう?モーセが杖に頼り始めたからでしょうか

たとえ神が私たちに与え、神が過去に用いたものでも、私たちがそれに頼ることを神は許されません。私たちには主の絶え間ない守りが必要です。それにより、私たちは主ご自身と主の御言葉以外のものに固執したり頼ったりすることから守られます。最後の最後まで、これはそうであり続けるでしょう。私たちに対する神の不思議な取り計らいの多くは、これで説明がつきます。主から受けたものは、主に戻さなければなりません。私たちは主から授かったものをその都度主にお返ししなくてはなりません。そうするなら、私たちは何ものにもとらわれずに、主の御旨に従うことができます。

また私たちは、神が働かれる方法についての先入観からも自由でなければなりません。神は初めの三つの奇跡では杖を用い、その後、杖無しでも御業をなせることをモーセに示されました。なぜなら、神は御業をなすのに何も必要とされないからです。次の奇跡は、モーセを通して語られたエホバの御言葉によってなされました。モーセが「主はこう仰せられます。『……明日、このしるしが起きる』」(出エジプト記八・二〇~二三)と語ると、それに続いてあぶの群れがやって来ました。また、モーセが「主はこう仰せられます。『……非常に激しい疫病が起きる』」(出エジプト記九・一~三)と語ると、その言葉どおり疫病が家畜を襲いました。

神は再び方法を変えられました。神はそれまでとは別の方法で六番目の天罰を下されました。この時、神は再び杖を使われました。モーセはこれらすべてのことから、神の御手の中で柔軟で従順であるよう教わりました。またモーセは、一度に一歩ずつ進むことを学び、その日に神がどう働かれるのか、先入観を抱いてはならないことを学びました。

2.妥協しない忠実さ

一点もたがえずに神の御言葉に従うことが、モーセには絶対必要でした。パロは自分に天罰が下った時、交渉して妥協をはかろうとしました。しかし、モーセは神の御言葉から逸れるべきではありませんでした。もしモーセが少しでも主の期待に背いていれば、イスラエルを解放するという主の御計画は台無しになっていたでしょう。モーセは一瞬たりとも、神から離れて行動しようとしませんでした。

パロは「この国内でおまえたちの神にいけにえをささげよ」[7]と言いました。モーセは「どうして国内でいけないことがあろうか?これ以上の妥協はもはや望めそうもない」と言うこともできたはずです。しかし、モーセはその妥協案を呑みませんでした。なぜなら神は、エジプトを出て三日の道のりを旅するよう、仰せられたからです。ですから、モーセたちはなんとしても三日の道のりを旅しなければなりませんでした。

パロは再び「さあ、壮年の男だけ行け」[8]と言いました。この提案も受け入れることはできません。なぜなら、神は「すべての人」と仰せられたからです。パロは次に「行け。……ただおまえたちの羊と牛は、とどめておけ」[9]と言いました。しかし、自分を立ててくださった方に忠実な神の僕は、妥協せずに、「私たちは家畜もいっしょに連れて行きます。ひづめ一つも残すことはできません」[10]と答えました。

神のすべての御言葉に絶対的に従うようになるまで、私たちは決して「顔と顔を合わせた」より深い神との交わりに導かれることはありません。

「神の友」と呼ばれるのは容易なことではありません。アブラハムはそのために多くの涙を流し、望みえない時に望みを抱いて、「神は御言葉を成就してくださる」と信じつつ、苦難の時を過ごしました。モーセはイスラエルの苦難とパロの術策に直面しましたが、大きな代価を払って堅く神に従い続けました。

忠実さが実証され、信仰があらゆる試みを耐え抜いた時はじめて、私たちは顔と顔を合わせた神との交友を十分に経験することができます。

3.神が責任を負ってくださることを絶えず覚える

「自分が従っている方に信頼する時、完全な従順は完全な安息をもたらす」と言われてきました。これは真実です。だからこそ、私たちは神を知るよう努めなければならないのです。そうするなら、私たちは神の御旨をはっきりと知り、神の支配に完全に服すことができます。

モーセは自分が従っている神を知っていました。それゆえ、彼は何一つ責任を負いませんでしたし、この世の君との戦いの行方についても尋ねようとしませんでした。「モーセは主に向かって叫んだ」という記述が繰り返し出てきます。モーセがそのように語った結果、パロはモーセではなく神を相手にしなければならないことを悟りました。

私たちはこのような神の使者でしょうか?メッセージを伝える時、私たちは自分を表立たせないようにしているでしょうか?私たちが遣わされた相手の人々は、使者ではなく神を相手にしなければならないことを悟っているでしょうか?ああ、恐ろしいことに、私たちの多くは霊の奉仕の第一の要素をほとんど学んだことがないのです!私たちは自分の小さな役柄に熱中するあまり、神と人との間に割り込んでしまいます。それどころか、私たちは主の御旨を知る方法を学ばなかったために、「このように主が言われる」と語ることを恐れさえします。

モーセが「主に向かって叫ぶ」時、事が成就することを、パロも知っていました!「祈って求めるものは何でも、すでに受けたと信じなさい。そうすれば、そのとおりになります」[11]。自分の祈りが神の御旨にかなっているかどうか、モーセには全く疑問の余地がありませんでした。「おお神よ、もしあなたの御心でしたら、この災いを取り除いてください」という祈りは、この場合役に立ちません。モーセは裁きの撤回をくどくどと祈り求めませんでした。聖書は、モーセがパロに告げた言葉を記しています。「私は主に向かって手を伸べ広げましょう。そうすれば雷はやみます」。すると、「雷と雹はやんだ」(出エジプト記九・二九、三三)!

意味のない祈りが多くなされる根本的な原因は、神に対する無知、神の御旨と書き記された神の御言葉に対する無知です。神が私たちに御旨を明らかに啓示してくださっているのですから、どうして私たちは「もしあなたの御旨なら……」などと言う必要があるのでしょう?私たちがなすべきことはただ、神に御言葉を示して、「あなたが語られたとおりになさってください」と大胆な信仰によって申し上げることだけです。神は、ご自身の子どもである私たちに、「信仰の祈り」についてまだまだ多くのことを教えなければなりません。「信仰の祈り」はその求めるものをすべて得ます。なぜなら、「信仰の祈り」は神の御旨に従って求めるからです。私たちは何を祈るべきか知りません。しかし、聖霊は御旨に関するあの直感的知識を私たちに与えることができます[12]。その知識は彼との親密な歩みから生じます。

ホレブ山での神との会見から始まった、従順と信仰の驚くべき生涯の記録を読み進んでいくと、事あるごとに「モーセは主に向かって叫んだ」という記述に出くわします。モーセが苦難と戦いを通して連れ出した人々が彼に逆らった時、彼は主に頼りました。忠実な僕は大胆に神に語り、反逆的なヘブル人たちに対する責任を何度も神に委ねました。

4.大胆さ

「信仰によって、彼は、王の怒りを恐れないで、エジプトを立ち去りました。目に見えない方を見るようにして、忍び通したからです」(ヘブル十一・二七)。このヘブル人への手紙の短い御言葉は、モーセの大胆さが信仰から出ていたことをはっきりと示しています。また、この御言葉はモーセの全生涯に光を投じます。モーセの信仰は、彼が試練を耐え忍ぶにつれて、日に日に成長していきました。モーセが試練を耐え忍べたのは、肉眼では見えない方を信仰の目で見ていたからです。「神に近づく者は、神がおられることと、神を求める者には報いてくださる方であることを、信じなければならないのです」(ヘブル十一・六)。モーセは信仰によってエジプトを立ち去りました。その信仰は、神がすべてを見通しておられることを信じる信仰であり、神が王の怒りから守ってくださることを信じる信仰であり、神によって未知の荒野に連れ出された未熟で無力な大群衆を、神が保護・供給してくださることを信じる信仰でした。

モーセにとって、「目に見える事柄」よりも神の方が大いなる現実になっていきました。そして、彼の信仰の歩みはますます大胆になっていきました。ついには、彼にとって、目に見えない方の方が目に見えるものよりも確固たる現実になりました。モーセは王の王との交わりの中を恐れず歩んでいたのですから、どうして「王の怒り」を恐れる必要があるでしょう?

「信仰によって、初子を滅ぼす者が彼らに触れることのないように、彼は過越と血の注ぎとを行ないました」(ヘブル十一・二八)。イスラエルのために神の力と結合していたのは、モーセの信仰でした。神は、「小羊を殺してその血を注ぐなら、滅ぼすものが触れることはない」と仰せられました。モーセは神を信じ、「信仰によって」それを行ないました。モーセは、家の外で神の裁きが下されている間、全く恐れませんでした。なぜなら、イスラエル人たちはほふられた小羊の血の下で保護されていたからです。

モーセの信仰はなんと素晴らしかったのでしょう!それはアブラハムの信仰よりも偉大でした。アブラハムは最初自分のために信仰を持ち、次にイサクのために信仰を持ちました。しかし、モーセは一国家の解放のための信仰を持っていました。

「信仰によって、彼らは、乾いた陸地を行くのと同じように紅海を渡りました。エジプト人は、同じようにしようとしましたが、のみこまれてしまいました」(ヘブル十一・二九)。モーセは紅海を渡る危険を冒すことを恐れませんでした。なぜなら、彼は神に従っていたからです。モーセは主の御力の杖を用いて、手を海に向かって伸ばしました。モーセのわざには信仰が伴っていました。神はその信仰を実証されました。そして、信仰によってそのわざが完成・成就されました。海の水は分かれ、イスラエルは乾いた陸地を行くのと同じように紅海を渡りました。イスラエル人は危険の中を進みましたが、エジプト人は後に続いて行こうとして災いに遭いました。

ああ!今日も同じではないでしょうか?生ける神の御言葉がなければ死に遭うような道でも、信仰があれば恐れずに歩めます。エジプト人は信仰の歩みを真似しようとしましたが、溺れてしまいました。生ける信仰を真似しても、試みの時に立つことはできません。神の子どもたちといえども注意する必要があります。神の命令と神の臨在の保証なく、他の人々の歩みに従おうとしてはいけません。さもないと完全に失敗するでしょう。

おお、信仰は本当に、望んでいる事柄の保証であり、目に見えない事柄の証拠です[13]!「信じる者には、どんなことでもできるのです」[14]。主よ、私たちの信仰を増してください!

最後に、モーセの謙遜さについて簡単に述べましょう。イテロがチッポラと二人の息子を連れて荒野のモーセのもとにやって来ました。その時モーセがイテロに示した姿勢を見ると、彼の謙遜さがよくわかります。モーセが神のなさったことをイテロに告げると、イテロは喜びました。その後、民の間のはてしない争い事をモーセが一人で解決しようとしているのを見て、イテロは他の人々に仕事を分配することを提案して言いました、「もしあなたがこのことを行なえば――神があなたに命じられるのですが――あなたはもちこたえることができるでしょう」(出エジプト記十八・二三)。モーセはイテロの提案を拒否しませんでした。なぜなら、モーセはそれまで個人的に神に導かれてきたからです。モーセが提案を受け入れたこの事例は教訓的です。神を深く知ることを学んだ人は、他の人々の話に敬意を払って、注意深く、喜んで耳を傾けることができます。

モーセをシナイ山での「顔と顔を合わせた」交わりにもたらすのに、イテロは重要な役割を果たしました。もし、イテロの賢明な助言がなく、神の僕モーセに素直な心がなければ、モーセが四十日間神のもとに行っている間、宿営は混乱していたでしょう。


訳者による注

[1] 出エジプト記四・三一
[2] ローマ四・十八
[3] 黙示録二二・十三
[4] ヨハネ十一・六
[5] ヨハネ十一・三三
[6] 出エジプト記七・一
[7] 出エジプト記八・二五
[8] 出エジプト記十・十一
[9] 出エジプト記十・二四
[10] 出エジプト記十・二六
[11] マルコ十一・二四
[12] ローマ八・二六~二七
[13] ヘブル十一・一
[14] マルコ九・二三