序文

ガイオン夫人

この小著はとても易しく書かれています。最初、私はこの本を出版するつもりはありませんでした。私はこの本を、心を尽くして神を愛することを願う少数の人々のために書いたのです。ところが、その原稿を読んだ人々が受けた益のゆえに、多くの人がその写しを求めるようになりました。その要求に応じるため、この小著が出版されることになりました。

私はこの本を元の易しさのまま残しました。この本は他の人々の神聖な導きを批判するものではありません。この本はむしろ、それらの教えを強めます。今、私はこの本を学識経験者の判断にお委ねします。ただし、一つだけお願いがあります。どうか、うわべにとどまらずに、この本の主題の中に入り込んでください。この本の主題は、全世界をいざなって神を愛させ、簡単かつ単純な方法で神に仕えさせることです。この方法は、ささやかな人々――深遠な学問的研究を行う能力は無いけれども、自分を全く神にささげることを熱烈に願う人々――に向いています。

偏見を持たずにこの本を読む読者は、平凡な表現の背後に聖なる塗り油が隠されているのを見いだすでしょう。そして、この塗り油によって、あの幸いを求めるよう促されるでしょう。あの幸いは、すべての人が享受することを願うべきものです。

私はこの本の副題で、「たやすく完全の域に達することができる」と書きました。これは真実です。なぜなら、自分の内に神を探す時、私たちは実に容易に神を見いだすからです。しかし、「主は、『あなたがたはわたしを捜すが、見つからないでしょう』(ヨハネによる福音書七章三四節)と言われたのではないでしょうか?」と言う人がいるかもしれません。この問題は他の節によって除かれます。偽ることのできない方は、「捜しなさい。そうすれば見つかります」(マタイによる福音書七章七節)とすべての人に言っておられます。しかし、ヨハネによる福音書の御言葉も真実です。もしあなたが罪を犯すことをやめないなら、たとえ主を探しても見いだせないでしょう。なぜならあなたは、主がおられない所に主を捜しているからです。それゆえ聖書は、「あなたがたは自分の罪の中で死ぬであろう」と付け加えています。しかし、主に近づくために、自分の心の中に神を探し、誠実に自分の罪を放棄する人は、間違いなく神を見いだすでしょう。

多くの人にとって敬虔な生活は恐ろしいもののように見えます。彼らは祈りはとても難しいと考えます。そのため、この方向に一歩踏み出す勇気を失ってしまうのです。何か新しい企てを始めることの困難さを理解する時、私たちは続ける望みを失い、着手することを億劫に感じるかもしれません。他方、このような企ての素晴らしさと、たやすく成し遂げられるかもしれないという見通しを思う時、私たちは喜んで、力強く、追求を始めることができるでしょう。ですから、この小著はこの道の有益さと易しさを示します。

ああ、ご自分のあわれな被造物に対する神の親切さと、彼らにご自身を伝えたいという神の願いを、私たちがたった一度でも信じられれば!そうすれば、私たちはもはや想像上の怪物を造り出さなくなるでしょうし、神が私たちに与えたいと願っておられるものを獲得することをすぐに諦めたりしなくなるでしょう。「私たちすべてのために、ご自分の御子さえ惜しまずに死に渡された方が、どうして、御子といっしょにすべてのものを、私たちに恵んでくださらないことがありましょう」(ローマ人への手紙八章三二節)。私たちに必要なのは、少しばかりの勇気と忍耐だけです。事実、私たちは現世のことについては両方とも十分に持っています。しかし、本当に必要なただ一つのこと(ルカによる福音書十章四二節)になると、全く持っていないのです。

「この方法で神を見いだすのは容易ではない」と思う人もいるかもしれません。もしそうなら、私の証しを鵜呑みにしないでください。そのかわり、この道をご自分で試してみてください。そうするなら、あなたは自分の経験から、実際は私が話した以上に素晴らしいことを確信するでしょう。

親愛なる読者よ、誠実で正直な心でこの小著を読んでください。批判しようとするのではなく、へりくだった心で読んでください。そうするなら、この本から益を受けそこなうことはないでしょう。あなたが自分を全く神にささげるようになることを願って、私はこの本を書きました。どうか、同じ願いをもって、この本を受け取ってください。単純で幼な子のような人を御父のもとに招くこと――この本の目的は、これ以外にありません。御父は、ご自分の子供たちのへりくだった信頼を喜ばれますが、彼らの不信を大いに悲しまれます。ですから、あなた自身の救いを求める真摯な願いを持ってください。そして、ここで示すささやかな方法から、神の愛以外のものを求めないでください。そうするなら、あなたはきっと神の愛を得るでしょう。

私は、「他の人々の意見より自分の意見の方が優れている」と言っているのではありません。私は、単純に主に従うことによって生じる幸いな結果を、自分の経験や他の人々の経験から正直に述べているだけです。

この小著の唯一の目的は祈りについて教えることです。他にも重要な主題がたくさんあります。しかし、それらはこの本の主題と直接関係ないので、割愛しました。もし、あなたがこの本を、それが書かれたのと同じ霊の中で読むなら、あなたはあなたの気分を害するものを何一つここに見いださないでしょう。それどころか、この方法を熱心に試す人々は、私が書いたことの真実さを知るでしょう。

おお、聖なるイエスよ、単純さと純真さを愛されるのは、ただあなただけです。あなたは、「人の子ら」や、喜んで「小さな子ども」(マタイによる福音書十八章三節)となる人々と共に住むのを喜ばれます(箴言八章三節)。ただあなただけが、このささやかな本に価値を与えることができます。この本を読者の心に書き記してください。そして、自分の内にあなたを捜すよう、読者を導いてください。あなたは彼らの中で休んでおられます。そして、あなたは彼らから愛の証しを受け取り、彼らにあなたの証しを与えようとしておられます。彼らがこれらの恩恵を失うのは、彼らの責任です。しかしながら、おお、全能の御子、非受造の愛、全てを含む静かな御言葉よ、私たちがあなたを愛し、享受し、理解できるかどうかは、全くあなたにかかっているのです。あなたはそれをなすことができます。私は存じています、あなたはこのささやかな本を用いてそれをなさるでしょう。なぜなら、この本は全くあなたのものであり、全くあなたから出ており、ただあなただけに仕えるものだからです!