この本の歴史

ガイオン夫人

「短くて簡単な祈りの方法」は、一六八五年頃フランスで出版されました。主はすぐにこの本を用いて、フランス中の信者たちを揺り動かされました。ところが、この本に対する反対もすぐに起こりました。ここに紹介する本は、公に焚書に処せられた本なのです!ローマ・カトリック教会の僧侶たちは、フランスのディジョンという町(そこには、この本の影響を受けた人たちが多く住んでいました)を訪問し、家を一軒一軒まわってこの本を捜し集め、三百冊近くを火で燃やしました。千七百年代において、一つの町に同じ本が三百冊も見つかるというのは、異例のことでした。このような強力な反対にもかかわらず、この本はこれまで多くの人たちに広く親しまれてきました。

ある一人のフランス人は、この本を千五百冊手に入れて、自分の町に配布しました。その結果、町全体がこの本から深い影響を受けました。

ガイオン夫人は全部で四十五冊の本を書いたと言われています。その中でも特に有名なのが、彼女の「自伝」と、ここに紹介する小著です。この「短くて簡単な祈りの方法」は、ささやかな本ではありますが、当時の政治的・宗教的勢力はこの本に激怒して、ガイオン夫人を迫害しました。ルイ十四世は、この本と彼女が書いた「歌の中の歌」という本をもとに彼女を逮捕しました。その後の宗教裁判では、これらの本が有罪の証拠として取り上げられました。彼女はこの本のゆえに異端宣告を受け、かの悪名高いバスチーユ監獄に幽閉されました。

ざっと以上が、ガイオン夫人在世中にこの本が辿った歴史です。しかし、これはたんなる始まりにすぎませんでした。ガイオン夫人の影響を受けた人々や運動は、枚挙にいとまがありません。ここでは少しだけ紹介することにしましょう。

彼女の死後すぐに、初期のクエーカーの信者たちがこの本を用い始めました。おそらく、彼らの運動に最も深く影響を及ぼした本(聖書を除く)が、この本であったと思われます。クエーカーの信者たちがこの本を使い始めたのは、クエーカー誕生後百年以上たってからのことでした。それにもかかわらず、ガイオン夫人がクエーカーの信者たちに及ぼした霊的な影響は、おそらくその創始者であるジョージ・フォックスにも匹敵するでしょう。

次にこの本の影響を受けたのは、ツィンツェンドルフとモラビア兄弟団でした。

それから少しして、ジョン・ウェスレーがこの本とガイオン夫人の他の著書を読んで、深い感銘を受けました。彼の深い敬虔さと霊性は、この本の影響に負うところが少なくないでしょう。

千八百年代後半の聖潔を強調するホーリネス運動の起源はウェスレーやホイットフィールドらにありますが、さらに歴史を遡ると、この本とその著者にまで辿り着きます。

また、二〇世紀初頭、傑出した聖徒だったジェシー・ペン-ルイスも、ガイオン夫人の本から大きな影響を受けました。

他にもガイオン夫人の本から影響を受けた人はたくさんいます。しかし、この本が最大の影響を及ぼしたのは、おそらく一九二〇年代の中国においてでしょう。その頃、この本がある一人の中国人青年の手に渡りました。その青年は、今世紀における最も傑出した神の僕の一人として、殉教の死に至るまで忠実に主に仕えるよう定められていました。その青年とは、ウオッチマン・ニーです。彼は、この本とガイオン夫人の自伝から、大きな影響を受けました。その結果、この本は間接的に彼の同労者たちにも影響を及ぼすことになりました。

以上で、この本が及ぼした影響の大きさについて、大体の概略をつかんでいただけたと思います。この本の及ぼした影響の大きさは、世俗の歴史家ですら認めています。ウィル・デュランは、十一巻から成る彼の著書「文明の歴史」の中で、ガイオン夫人の生涯と著書がフランスの歴史に与えた影響の大きさを記しています。今あなたの前にあるこの本は、過去三百年間、主を追い求めるクリスチャンたちに大きな影響を及ぼしてきた本なのです。