第一章 祈りへの召し

ガイオン夫人

誰でも祈ることができます。世界のほとんどの人は「自分は祈りに召されていない」と思っていますが、これは悲劇です。私たちはみな、救いに召されているのと同じように、祈りに召されています。

祈りは心を神に傾けて、内側で神を愛することです。聖パウロは「絶えず祈りなさい」(テサロニケ人への第一の手紙五章十七節)と私たちを励ましています。主もまた、「目をさまして祈る」よう、私たちに命じておられます(マルコによる福音書十三章三三、三七節)。ですから、すべての人が祈れますし、祈るべきです。確かに、黙想は少数の人しか実行できません。ですから、救いを渇望している私の愛する兄弟たちよ、黙想の祈りは神があなたに求めておられる祈りではありませんし、私たちが勧める祈りでもありません。

祈りましょう。あなたは愛によって生きなければならないように、祈りによって生きなければなりません。「わたしはあなたに忠告する。豊かな者となるために、火で精錬された金をわたしから買いなさい」(黙示録三章十八節)。この金はとても容易に手に入れられます。あなたが想像する以上に、はるかに容易に手に入れられるのです。

生ける水に乾いているすべての人よ、来なさい。水の出ない井戸を掘ることに、あなたの貴重な時間を浪費してはいけません(ヨハネによる福音書七章三七節、エレミヤ書二章十三節)。もしあなたが飢えており、飢えを満たすものを見いだせないでいるなら、来なさい。来なさい、そうすれば満たされるでしょう!惨めさや痛みという重荷を負って苦しんでいる哀れな人々よ、来なさい。あなたは慰められるでしょう!病んでいる人よ、あなたの医者のもとに来なさい。自分が病だらけだからといって、主に近づくのを恐れてはなりません。あなたの病を主に見せなさい。そうすれば癒されるでしょう!

子供たちよ、あなたの御父に近づきなさい。そうすれば、御父は愛の御腕であなたを抱いてくださいます!羊のように迷って、さまよっている人よ、あなたの牧者のもとに戻りなさい!罪人よ、あなたの救い主のもとに来なさい!愚鈍で、無知で、読み書きすらできない人よ、来なさい!あなたは、自分は最も祈りに向いていない、と思っているかもしれません。しかし、あなたは他のだれよりも、特に祈りに召されており、祈りに向いているのです。すべての人よ、来なさい。一人も例外はありません。イエス・キリストはすべての人を召しておられます。

しかし、心を持たない人は来ないでください。そのような人は対象外です。なぜなら、愛するには心が必要だからです。しかし、心を持たない人などいるでしょうか?ですから、来なさい。この心を神に与えなさい。ここで、この贈り物を与える方法を学びなさい。

祈ることを願う人はみな、聖霊の恵みと賜物によって、いとも容易に祈ることができます。聖霊はこの恵みと賜物をすべての人に与えてくださいます。

祈りは完全と至高善に至る鍵です。祈りは、私たちをあらゆる悪から解放する手段であり、あらゆる徳を私たちにもたらす手段です。なぜなら、完全になる唯一の方法は、神の臨在の中を歩むことだからです。神ご自身が、「あなたはわたしの前を歩み、全き者でありなさい」(創世記十七章一節)と言われました。ただ祈りによってのみ、私たちは神の臨在の中にもたらされ、絶えずその中に保たれます。

ですから、あなたはこの祈りを学ばなければなりません。この祈りは、いついかなる時でも実行できます。この祈りは、外側の仕事を妨げません。この祈りは、王子、国王、聖職者、祭司、判事、兵士、子供、商人、労働者、女性、病人など、だれでも同じように実行できます。この祈りは頭の祈りではなく、心の祈りです。

この祈りは、知力のみによる祈りではありません。なぜなら、人の精神の働きは非常に制限されているため、一度に一つのことしか注意を払えないからです。しかし、この祈りは心の祈りです。心の祈りは、理性の働きによって妨げられません。なにものもこの祈りを妨げられません。ただし、利己的な願望はこの祈りを妨げることができます。しかし、この問題もすぐに解決されます。なぜなら、私たちが一度でも神を享受し、神の愛の甘さを味わうなら、神以外のものを享受できなくなるからです。

神を獲得し、神を享受することほど、簡単なことはありません。神は、私たちが自分に近くある以上に、私たちに近いのです。それに、ご自身を私たちに与えたいという神の願いは、神を得たいという私たちの願いよりも大きいのです。私たちはただ、神を追い求める方法を学ぶ必要があります。そして、この方法は呼吸するよりも容易で自然なのです。

ああ、「自分は鈍くて、なにもできない」と思っている人々よ!あなたは、祈りにより、神ご自身によって生きることができます。それは、自分が吸い込む空気によって生きることよりも、容易で絶え間ないものです。このようなわけですから、祈りを無視することは実に罪深くないでしょうか?しかし、世界で最も簡単なこの方法を学ぶ時、あなたは決して祈りを無視できないでしょう。