コリント人への第一の手紙

第一章

1(かみ)御旨(みむね)により()されてキリスト・イエスの使徒(しと)となったパウロと、兄弟(きょうだい)ソステネから、 2コリントにある(かみ)教会(きょうかい)、すなわち、わたしたちの(しゅ)イエス・キリストの御名(みな)(いた)(ところ)()(もと)めているすべての人々(ひとびと)(とも)に、キリスト・イエスにあってきよめられ、聖徒(せいと)として()されたかたがたへ。このキリストは、わたしたちの(しゅ)であり、また(かれ)らの(しゅ)であられる。
3わたしたちの(ちち)なる(かみ)(しゅ)イエス・キリストから、(めぐ)みと平安(へいあん)とが、あなたがたにあるように。
4わたしは、あなたがたがキリスト・イエスにあって(あた)えられた(かみ)(めぐ)みを(おも)って、いつも(かみ)感謝(かんしゃ)している。 5あなたがたはキリストにあって、すべてのことに、すなわち、すべての言葉(ことば)にもすべての知識(ちしき)にも(めぐ)まれ、 6キリストのためのあかしが、あなたがたのうちに(たし)かなものとされ、 7こうして、あなたがたは(めぐ)みの賜物(たまもの)にいささかも()けることがなく、わたしたちの(しゅ)イエス・キリストの(あらわ)れるのを()(のぞ)んでいる。 8(しゅ)もまた、あなたがたを最後(さいご)まで(かた)くささえて、わたしたちの(しゅ)イエス・キリストの()に、()められるところのない(もの)にして(くだ)さるであろう。 9(かみ)真実(しんじつ)なかたである。あなたがたは(かみ)によって()され、御子(みこ)、わたしたちの(しゅ)イエス・キリストとの(まじ)わりに、はいらせていただいたのである。
10さて兄弟(きょうだい)たちよ。わたしたちの(しゅ)イエス・キリストの()によって、あなたがたに(すす)める。みな(かた)ることを一つにし、お(たがい)(あいだ)分争(ぶんそう)がないようにし、(おな)(こころ)(おな)(おも)いになって、(かた)(むす)()っていてほしい。 11わたしの兄弟(きょうだい)たちよ。(じつ)は、クロエの(いえ)(もの)たちから、あなたがたの(あいだ)(あらそ)いがあると()かされている。 12はっきり()うと、あなたがたがそれぞれ、「わたしはパウロにつく」「わたしはアポロに」「わたしはケパに」「わたしはキリストに」と()()っていることである。 13キリストは、いくつにも()けられたのか。パウロは、あなたがたのために十字架(じゅうじか)につけられたことがあるのか。それとも、あなたがたは、パウロの()によってバプテスマを()けたのか。 14わたしは感謝(かんしゃ)しているが、クリスポとガイオ以外(いがい)には、あなたがたのうちのだれにも、バプテスマを(さづ)けたことがない。 15それはあなたがたがわたしの()によってバプテスマを()けたのだと、だれにも()われることのないためである。 16もっとも、ステパナの(いえ)(もの)たちには、バプテスマを(さづ)けたことがある。しかし、そのほかには、だれにも(さづ)けた(おぼ)えがない。 17いったい、キリストがわたしをつかわされたのは、バプテスマを(さづ)けるためではなく、福音(ふくいん)()(つた)えるためであり、しかも知恵(ちえ)言葉(ことば)(もち)いずに()(つた)えるためであった。それは、キリストの十字架(じゅうじか)無力(むりょく)なものになってしまわないためなのである。
18十字架(じゅうじか)(ことば)は、(ほろ)()(もの)には(おろ)かであるが、(すくい)にあずかるわたしたちには、(かみ)(ちから)である。 19すなわち、聖書(せいしょ)に、
「わたしは知者(ちしゃ)知恵(ちえ)(ほろ)ぼし、
(かしこ)(もの)(かしこ)さをむなしいものにする」
()いてある。 20知者(ちしゃ)はどこにいるか。学者(がくしゃ)はどこにいるか。この()論者(ろんしゃ)はどこにいるか。(かみ)はこの()知恵(ちえ)を、(おろ)かにされたではないか。 21この()は、自分(じぶん)知恵(ちえ)によって(かみ)(みと)めるに(いた)らなかった。それは、(かみ)知恵(ちえ)にかなっている。そこで(かみ)は、宣教(せんきょう)(おろ)かさによって、(しん)じる(もの)(すく)うこととされたのである。 22ユダヤ(じん)はしるしを()い、ギリシヤ(じん)知恵(ちえ)(もと)める。 23しかしわたしたちは、十字架(じゅうじか)につけられたキリストを()(つた)える。このキリストは、ユダヤ(じん)にはつまずかせるもの、異邦人(いほうじん)には(おろ)かなものであるが、 24()された(もの)自身(じしん)にとっては、ユダヤ(じん)にもギリシヤ(じん)にも、(かみ)(ちから)(かみ)知恵(ちえ)たるキリストなのである。 25(かみ)(おろ)かさは(ひと)よりも(かしこ)く、(かみ)(よわ)さは(ひと)よりも(つよ)いからである。
26兄弟(きょうだい)たちよ。あなたがたが()された(とき)のことを(かんが)えてみるがよい。人間(にんげん)(てき)には、知恵(ちえ)のある(もの)(おお)くはなく、権力(けんりょく)のある(もの)(おお)くはなく、身分(みぶん)(たか)(もの)(おお)くはいない。 27それだのに(かみ)は、知者(ちしゃ)をはずかしめるために、この()(おろ)かな(もの)(えら)び、(つよ)(もの)をはずかしめるために、この()(よわ)(もの)(えら)び、 28有力(ゆうりょく)(もの)無力(むりょく)(もの)にするために、この()身分(みぶん)(ひく)(もの)(かろ)んじられている(もの)、すなわち、()きに(ひと)しい(もの)を、あえて(えら)ばれたのである。 29それは、どんな人間(にんげん)でも、(かみ)のみまえに(ほこ)ることがないためである。 30あなたがたがキリスト・イエスにあるのは、(かみ)によるのである。キリストは(かみ)()てられて、わたしたちの知恵(ちえ)となり、()(せい)とあがないとになられたのである。 31それは、「(ほこ)(もの)(しゅ)(ほこ)れ」と()いてあるとおりである。

第二章

1兄弟(きょうだい)たちよ。わたしもまた、あなたがたの(ところ)()ったとき、(かみ)のあかしを()(つた)えるのに、すぐれた言葉(ことば)知恵(ちえ)(もち)いなかった。 2なぜなら、わたしはイエス・キリスト、しかも十字架(じゅうじか)につけられたキリスト以外(いがい)のことは、あなたがたの(あいだ)では(なに)()るまいと、決心(けっしん)したからである。 3わたしがあなたがたの(ところ)()った(とき)には、(よわ)くかつ(おそ)れ、ひどく不安(ふあん)であった。 4そして、わたしの言葉(ことば)もわたしの宣教(せんきょう)も、(たく)みな知恵(ちえ)言葉(ことば)によらないで、(れい)(ちから)との証明(しょうめい)によったのである。 5それは、あなたがたの信仰(しんこう)(ひと)知恵(ちえ)によらないで、(かみ)(ちから)によるものとなるためであった。
6しかしわたしたちは、円熟(えんじゅく)している(もの)(あいだ)では、知恵(ちえ)(かた)る。この知恵(ちえ)は、この()(もの)知恵(ちえ)ではなく、この()(ほろ)()支配者(しはいしゃ)たちの知恵(ちえ)でもない。 7むしろ、わたしたちが(かた)るのは、(かく)された奥義(おくぎ)としての(かみ)知恵(ちえ)である。それは(かみ)が、わたしたちの()ける栄光(えいこう)のために、()(はじ)まらぬ(さき)から、あらかじめ(さだ)めておかれたものである。 8この()支配者(しはいしゃ)たちのうちで、この知恵(ちえ)()っていた(もの)は、ひとりもいなかった。もし()っていたなら、栄光(えいこう)(しゅ)十字架(じゅうじか)につけはしなかったであろう。 9しかし、聖書(せいしょ)()いてあるとおり、
()がまだ()ず、(みみ)がまだ()かず、
(ひと)(こころ)(おも)(うか)びもしなかったことを、
(かみ)は、ご自分(じぶん)(あい)する(もの)たちのために(そな)えられた」
のである。 10そして、それを(かみ)は、御霊(みたま)によってわたしたちに啓示(けいじ)して(くだ)さったのである。御霊(みたま)はすべてのものをきわめ、(かみ)(ふか)みまでもきわめるのだからである。 11いったい、人間(にんげん)(おも)いは、その(うち)にある人間(にんげん)(れい)以外(いがい)に、だれが()っていようか。それと(おな)じように(かみ)(おも)いも、(かみ)御霊(みたま)以外(いがい)には、()るものはない。 12ところが、わたしたちが()けたのは、この()(れい)ではなく、(かみ)からの(れい)である。それによって、(かみ)から(たま)わった(めぐ)みを(さと)るためである。 13この賜物(たまもの)について(かた)るにも、わたしたちは人間(にんげん)知恵(ちえ)(おし)える言葉(ことば)(もち)いないで、御霊(みたま)(おし)える言葉(ことば)(もち)い、(れい)によって(れい)のことを解釈(かいしゃく)するのである。 14(うま)れながらの(ひと)は、(かみ)御霊(みたま)賜物(たまもの)()けいれない。それは(かれ)には(おろ)かなものだからである。また、御霊(みたま)によって判断(はんだん)されるべきであるから、(かれ)はそれを理解(りかい)することができない。 15しかし、(れい)(ひと)は、すべてのものを判断(はんだん)するが、自分(じぶん)自身(じしん)はだれからも判断(はんだん)されることはない。 16「だれが(しゅ)(おも)いを()って、(かれ)(おし)えることができようか」。しかし、わたしたちはキリストの(おも)いを()っている。

第三章

1兄弟(きょうだい)たちよ。わたしはあなたがたには、(れい)(ひと)(たい)するように(はな)すことができず、むしろ、(にく)(ぞく)する(もの)、すなわち、キリストにある(おさ)()(はな)すように(はな)した。 2あなたがたに(ちち)()ませて、(かた)食物(しょくもつ)(あた)えなかった。()べる(ちから)が、まだあなたがたになかったからである。(いま)になってもその(ちから)がない。 3あなたがたはまだ、(にく)(ひと)だからである。あなたがたの(あいだ)に、ねたみや(あらそ)いがあるのは、あなたがたが(にく)(ひと)であって、普通(ふつう)人間(にんげん)のように(ある)いているためではないか。 4すなわち、ある(ひと)は「わたしはパウロに」と()い、ほかの(ひと)は「わたしはアポロに」と()っているようでは、あなたがたは普通(ふつう)人間(にんげん)ではないか。 5アポロは、いったい、何者(なにもの)か。また、パウロは何者(なにもの)か。あなたがたを信仰(しんこう)(みちび)いた(ひと)にすぎない。しかもそれぞれ、(しゅ)から(あた)えられた(ぶん)(おう)じて(つか)えているのである。 6わたしは()え、アポロは(みず)をそそいだ。しかし成長(せいちょう)させて(くだ)さるのは、(かみ)である。 7だから、()える(もの)(みず)をそそぐ(もの)も、ともに()るに()りない。大事(だいじ)なのは、成長(せいちょう)させて(くだ)さる(かみ)のみである。 8()える(もの)(みず)をそそぐ(もの)とは一つであって、それぞれその(はたら)きに(おう)じて報酬(ほうしゅう)()るであろう。 9わたしたちは(かみ)同労者(どうろうしゃ)である。あなたがたは(かみ)(はたけ)であり、(かみ)建物(たてもの)である。
10(かみ)から(たま)わった(めぐ)みによって、わたしは熟練(じゅくれん)した建築(けんちく)()のように、土台(どだい)をすえた。そして()(ひと)がその(うえ)(いえ)()てるのである。しかし、どういうふうに()てるか、それぞれ()をつけるがよい。 11なぜなら、すでにすえられている土台(どだい)以外(いがい)のものをすえることは、だれにもできない。そして、この土台(どだい)はイエス・キリストである。 12この土台(どだい)(うえ)に、だれかが(きん)(ぎん)宝石(ほうせき)()(くさ)、または、わらを(もち)いて()てるならば、 13それぞれの仕事(しごと)は、はっきりとわかってくる。すなわち、かの()()(なか)(あらわ)れて、それを(あき)らかにし、またその()は、それぞれの仕事(しごと)がどんなものであるかを、ためすであろう。 14もしある(ひと)()てた仕事(しごと)がそのまま残れば、その(ひと)報酬(ほうしゅう)()けるが、 15その仕事(しごと)()けてしまえば、損失(そんしつ)(こうむ)るであろう。しかし(かれ)自身(じしん)は、()(なか)をくぐってきた(もの)のようにではあるが、(すく)われるであろう。
16あなたがたは(かみ)(みや)であって、(かみ)御霊(みたま)自分(じぶん)のうちに宿(やど)っていることを()らないのか。 17もし(ひと)が、(かみ)(みや)破壊(はかい)するなら、(かみ)はその(ひと)(ほろ)ぼすであろう。なぜなら、(かみ)(みや)(せい)なるものであり、そして、あなたがたはその(みや)なのだからである。
18だれも自分(じぶん)(あざむ)いてはならない。もしあなたがたのうちに、自分(じぶん)がこの()知者(ちしゃ)だと(おも)(ひと)がいるなら、その(ひと)知者(ちしゃ)になるために(おろ)かになるがよい。 19なぜなら、この()知恵(ちえ)は、(かみ)(まえ)では(おろ)かなものだからである。「(かみ)は、知者(ちしゃ)たちをその悪知恵(わるぢえ)によって(とら)える」と()いてあり、 20(さら)にまた、「(しゅ)は、知者(ちしゃ)たちの論議(ろんぎ)のむなしいことをご(ぞん)じである」と()いてある。 21だから、だれも人間(にんげん)(ほこ)ってはいけない。すべては、あなたがたのものなのである。 22パウロも、アポロも、ケパも、世界(せかい)も、(せい)も、()も、現在(げんざい)のものも、将来(しょうらい)のものも、ことごとく、あなたがたのものである。 23そして、あなたがたはキリストのもの、キリストは(かみ)のものである。

第四章

1このようなわけだから、(ひと)はわたしたちを、キリストに(つか)える(もの)(かみ)奥義(おくぎ)管理(かんり)している(もの)()るがよい。 2この場合(ばあい)管理者(かんりしゃ)要求(ようきゅう)されているのは、忠実(ちゅうじつ)であることである。 3わたしはあなたがたにさばかれたり、人間(にんげん)裁判(さいばん)にかけられたりしても、なんら()(かい)しない。いや、わたしは自分(じぶん)をさばくこともしない。 4わたしは(みずか)(かえり)みて、なんらやましいことはないが、それで()とされているわけではない。わたしをさばくかたは、(しゅ)である。 5だから、(しゅ)がこられるまでは、何事(なにごと)についても、(さき)(ばし)りをしてさばいてはいけない。(しゅ)(くら)(なか)(かく)れていることを(あか)るみに()し、(こころ)(なか)(くわだ)てられていることを、あらわにされるであろう。その(とき)には、(かみ)からそれぞれほまれを()けるであろう。
6兄弟(きょうだい)たちよ。これらのことをわたし自身(じしん)とアポロとに()てはめて()って()かせたが、それはあなたがたが、わたしたちを(れい)にとって、「しるされている(さだ)めを()えない」ことを(まな)び、ひとりの(ひと)をあがめ、ほかの(ひと)()さげて(たか)ぶることのないためである。 7いったい、あなたを(えら)くしているのは、だれなのか。あなたの()っているもので、もらっていないものがあるか。もしもらっているなら、なぜもらっていないもののように(ほこ)るのか。
8あなたがたは、すでに満腹(まんぷく)しているのだ。すでに()(さか)えているのだ。わたしたちを()しおいて、(おう)になっているのだ。ああ、(おう)になっていてくれたらと(おも)う。そうであったなら、わたしたちも、あなたがたと(とも)(おう)になれたであろう。 9わたしはこう(かんが)える。(かみ)はわたしたち使徒(しと)死刑囚(しけいしゅう)のように、最後(さいご)出場(しゅつじょう)する(もの)として()()し、こうしてわたしたちは、(ぜん)世界(せかい)に、天使(てんし)にも人々(ひとびと)にも()(もの)にされたのだ。 10わたしたちはキリストのゆえに(おろ)かな(もの)となり、あなたがたはキリストにあって(かしこ)(もの)となっている。わたしたちは(よわ)いが、あなたがたは(つよ)い。あなたがたは(たっと)ばれ、わたしたちは(いや)しめられている。 11(いま)(いま)まで、わたしたちは()え、かわき、(はだか)にされ、()たれ、宿(やど)なしであり、 12苦労(くろう)して自分(じぶん)()(はたら)いている。はずかしめられては祝福(しゅくふく)し、迫害(はくがい)されては()(しの)び、 13ののしられては(やさ)しい言葉(ことば)をかけている。わたしたちは(いま)(いた)るまで、この()のちりのように、人間(にんげん)のくずのようにされている。
14わたしがこのようなことを()くのは、あなたがたをはずかしめるためではなく、むしろ、わたしの愛児(あいじ)としてさとすためである。 15たといあなたがたに、キリストにある養育掛(よういくがかり)が一万(にん)あったとしても、(ちち)(おお)くあるのではない。キリスト・イエスにあって、福音(ふくいん)によりあなたがたを()んだのは、わたしなのである。 16そこで、あなたがたに(すす)める。わたしにならう(もの)となりなさい。 17このことのために、わたしは(しゅ)にあって(あい)する忠実(ちゅうじつ)なわたしの()テモテを、あなたがたの(ところ)につかわした。(かれ)は、キリスト・イエスにおけるわたしの生活(せいかつ)のしかたを、わたしが(いた)(ところ)教会(きょうかい)(おし)えているとおりに、あなたがたに(おも)(おこ)させてくれるであろう。 18しかしある人々(ひとびと)は、わたしがあなたがたの(ところ)()ることはあるまいとみて、(たか)ぶっているということである。 19しかし(しゅ)のみこころであれば、わたしはすぐにでもあなたがたの(ところ)()って、(たか)ぶっている(もの)たちの言葉(ことば)ではなく、その(ちから)()せてもらおう。 20(かみ)(くに)言葉(ことば)ではなく、(ちから)である。 21あなたがたは、どちらを(のぞ)むのか。わたしがむちをもって、あなたがたの(ところ)()くことか、それとも、(あい)柔和(にゅうわ)(こころ)とをもって()くことであるか。

第五章

1(げん)()くところによると、あなたがたの(あいだ)不品行(ふひんこう)(もの)があり、しかもその不品行(ふひんこう)は、異邦人(いほうじん)(あいだ)にもないほどのもので、ある(ひと)がその(ちち)(つま)一緒(いっしょ)()んでいるということである。 2それだのに、なお、あなたがたは(たか)ぶっている。むしろ、そんな(おこな)いをしている(もの)が、あなたがたの(なか)から(のぞ)かれねばならないことを(おも)って、(かな)しむべきではないか。 3しかし、わたし自身(じしん)としては、からだは(はな)れていても、(れい)では一緒(いっしょ)にいて、その()にいる(もの)のように、そんな(おこな)いをした(もの)を、すでにさばいてしまっている。 4すなわち、(しゅ)イエスの()によって、あなたがたもわたしの(れい)(とも)に、わたしたちの(しゅ)イエスの権威(けんい)のもとに(あつ)まって、 5(かれ)(にく)(ほろ)ぼされても、その(れい)(しゅ)のさばきの()(すく)われるように、(かれ)をサタンに()(わた)してしまったのである。 6あなたがたが(ほこ)っているのは、よろしくない。あなたがたは、(すこ)しのパン(だね)(こな)のかたまり全体(ぜんたい)をふくらませることを、()らないのか。 7(あたら)しい(こな)のかたまりになるために、(ふる)いパン(だね)()(のぞ)きなさい。あなたがたは、事実(じじつ)パン(だね)のない(もの)なのだから。わたしたちの過越(すぎこし)小羊(こひつじ)であるキリストは、すでにほふられたのだ。 8ゆえに、わたしたちは、(ふる)いパン(だね)や、また悪意(あくい)邪悪(じゃあく)とのパン(だね)(もち)いずに、パン(だね)のはいっていない純粋(じゅんすい)真実(しんじつ)なパンをもって、(まつり)をしようではないか。
9わたしは(まえ)手紙(てがみ)で、不品行(ふひんこう)(もの)たちと交際(こうさい)してはいけないと()いたが、 10それは、この()不品行(ふひんこう)(もの)貪欲(どんよく)(もの)略奪(りゃくだつ)をする(もの)偶像(ぐうぞう)礼拝(れいはい)をする(もの)などと全然(ぜんぜん)交際(こうさい)してはいけないと、()ったのではない。もしそうだとしたら、あなたがたはこの()から()()かねばならないことになる。 11しかし、わたしが実際(じっさい)()いたのは、兄弟(きょうだい)()ばれる(ひと)で、不品行(ふひんこう)(もの)貪欲(どんよく)(もの)偶像(ぐうぞう)礼拝(れいはい)をする(もの)(ひと)をそしる(もの)(さけ)()(もの)略奪(りゃくだつ)をする(もの)があれば、そんな(ひと)交際(こうさい)をしてはいけない、食事(しょくじ)(とも)にしてもいけない、ということであった。 12(そと)(ひと)たちをさばくのは、わたしのすることであろうか。あなたがたのさばくべき(もの)は、(うち)(ひと)たちではないか。(そと)(ひと)たちは、(かみ)がさばくのである。 13その悪人(あくにん)を、あなたがたの(なか)から(のぞ)いてしまいなさい。

第六章

1あなたがたの(なか)のひとりが、仲間(なかま)(もの)(なに)(あらそ)いを(おこ)した場合(ばあい)、それを聖徒(せいと)(うった)えないで、(ただ)しくない(もの)(うった)()るようなことをするのか。 2それとも、聖徒(せいと)()をさばくものであることを、あなたがたは()らないのか。そして、()があなたがたによってさばかれるべきであるのに、きわめて(ちい)さい事件(じけん)でもさばく(ちから)がないのか。 3あなたがたは()らないのか、わたしたちは御使(みつかい)をさえさばく(もの)である。ましてこの()事件(じけん)などは、いうまでもないではないか。 4それだのに、この()事件(じけん)(おこ)ると、教会(きょうかい)(かろ)んじられている(ひと)たちを、裁判(さいばん)(せき)につかせるのか。 5わたしがこう()うのは、あなたがたをはずかしめるためである。いったい、あなたがたの(なか)には、兄弟(きょうだい)(あいだ)(あらそ)いを仲裁(ちゅうさい)することができるほどの知者(ちしゃ)は、ひとりもいないのか。 6しかるに、兄弟(きょうだい)兄弟(きょうだい)(うった)え、しかもそれを不信者(ふしんじゃ)(まえ)()()すのか。 7そもそも、(たがい)(うった)()うこと自体(じたい)が、すでにあなたがたの敗北(はいぼく)なのだ。なぜ、むしろ不義(ふぎ)()けないのか。なぜ、むしろだまされていないのか。 8しかるに、あなたがたは不義(ふぎ)(はたら)き、だまし()り、しかも兄弟(きょうだい)(たい)してそうしているのである。 9それとも、(ただ)しくない(もの)(かみ)(くに)をつぐことはないのを、()らないのか。まちがってはいけない。不品行(ふひんこう)(もの)偶像(ぐうぞう)礼拝(れいはい)する(もの)姦淫(かんいん)をする(もの)男娼(だんしょう)となる(もの)男色(なんしょく)をする(もの)(ぬす)(もの)10貪欲(どんよく)(もの)(さけ)()(もの)、そしる(もの)略奪(りゃくだつ)する(もの)は、いずれも(かみ)(くに)をつぐことはないのである。 11あなたがたの(なか)には、以前(いぜん)はそんな(ひと)もいた。しかし、あなたがたは、(しゅ)イエス・キリストの()によって、またわたしたちの(かみ)(れい)によって、(あら)われ、きよめられ、()とされたのである。
12すべてのことは、わたしに(ゆる)されている。しかし、すべてのことが(えき)になるわけではない。すべてのことは、わたしに(ゆる)されている。しかし、わたしは(なに)ものにも支配(しはい)されることはない。 13食物(しょくもつ)(はら)のため、(はら)食物(しょくもつ)のためである。しかし(かみ)は、それもこれも(ほろ)ぼすであろう。からだは不品行(ふひんこう)のためではなく、(しゅ)のためであり、(しゅ)はからだのためである。 14そして、(かみ)(しゅ)をよみがえらせたが、その(ちから)で、わたしたちをもよみがえらせて(くだ)さるであろう。 15あなたがたは自分(じぶん)のからだがキリストの肢体(したい)であることを、()らないのか。それだのに、キリストの肢体(したい)()って遊女(ゆうじょ)肢体(したい)としてよいのか。(だん)じていけない。 16それとも、遊女(ゆうじょ)につく(もの)はそれと一つのからだになることを、()らないのか。「ふたりの(もの)一体(いったい)となるべきである」とあるからである。 17しかし(しゅ)につく(もの)は、(しゅ)と一つの(れい)になるのである。 18不品行(ふひんこう)()けなさい。(ひと)(おか)すすべての(つみ)は、からだの(そと)にある。しかし不品行(ふひんこう)をする(もの)は、自分(じぶん)のからだに(たい)して(つみ)(おか)すのである。 19あなたがたは()らないのか。自分(じぶん)のからだは、(かみ)から()けて自分(じぶん)(うち)宿(やど)っている聖霊(せいれい)(みや)であって、あなたがたは、もはや自分(じぶん)自身(じしん)のものではないのである。 20あなたがたは、代価(だいか)(はら)って()いとられたのだ。それだから、自分(じぶん)のからだをもって、(かみ)栄光(えいこう)をあらわしなさい。

第七章

1さて、あなたがたが()いてよこした(こと)について(こた)えると、男子(だんし)婦人(ふじん)にふれないがよい。 2しかし、不品行(ふひんこう)(おちい)ることのないために、男子(だんし)はそれぞれ自分(じぶん)(つま)()ち、婦人(ふじん)もそれぞれ自分(じぶん)(おっと)()つがよい。 3(おっと)(つま)にその(ぶん)(はた)し、(つま)同様(どうよう)(おっと)にその(ぶん)(はた)すべきである。 4(つま)自分(じぶん)のからだを自由(じゆう)にすることはできない。それができるのは(おっと)である。(おっと)同様(どうよう)自分(じぶん)のからだを自由(じゆう)にすることはできない。それができるのは(つま)である。 5(たがい)(こば)んではいけない。ただし、合意(ごうい)(うえ)(いのり)専心(せんしん)するために、しばらく相別(あいわか)れ、それからまた一緒(いっしょ)になることは、さしつかえない。そうでないと、自制力(じせいりょく)のないのに(じょう)じて、サタンがあなたがたを誘惑(ゆうわく)するかも()れない。 6以上(いじょう)のことは、譲歩(じょうほ)のつもりで()うのであって、命令(めいれい)するのではない。 7わたしとしては、みんなの(もの)がわたし自身(じしん)のようになってほしい。しかし、ひとりびとり(かみ)からそれぞれの賜物(たまもの)をいただいていて、ある(ひと)はこうしており、()(ひと)はそうしている。
8(つぎ)に、未婚者(みこんしゃ)たちとやもめたちとに()うが、わたしのように、ひとりでおれば、それがいちばんよい。 9しかし、もし()(せい)することができないなら、結婚(けっこん)するがよい。(じょう)()えるよりは、結婚(けっこん)する(ほう)が、よいからである。 10(さら)に、結婚(けっこん)している(もの)たちに(めい)じる。(めい)じるのは、わたしではなく(しゅ)であるが、(つま)(おっと)から(わか)れてはいけない。 11(しかし、万一(まんいち)(わか)れているなら、結婚(けっこん)しないでいるか、それとも(おっと)和解(わかい)するかしなさい)。また(おっと)(つま)離婚(りこん)してはならない。 12そのほかの人々(ひとびと)()う。これを()うのは、(しゅ)ではなく、わたしである。ある兄弟(きょうだい)不信者(ふしんじゃ)(つま)があり、そして(とも)にいることを(よろこ)んでいる場合(ばあい)には、離婚(りこん)してはいけない。 13また、ある婦人(ふじん)(おっと)不信者(ふしんじゃ)であり、そして(とも)にいることを(よろこ)んでいる場合(ばあい)には、離婚(りこん)してはいけない。 14なぜなら、不信者(ふしんじゃ)(おっと)(つま)によってきよめられており、また、不信者(ふしんじゃ)(つま)(おっと)によってきよめられているからである。もしそうでなければ、あなたがたの()(けが)れていることになるが、実際(じっさい)はきよいではないか。 15しかし、もし不信者(ふしんじゃ)(ほう)(はな)れて()くのなら、(はな)れるままにしておくがよい。兄弟(きょうだい)姉妹(しまい)も、こうした場合(ばあい)には、束縛(そくばく)されてはいない。(かみ)は、あなたがたを平和(へいわ)(くら)させるために、()されたのである。 16なぜなら、(つま)よ、あなたが(おっと)(すく)いうるかどうか、どうしてわかるか。また、(おっと)よ、あなたも(つま)(すく)いうるかどうか、どうしてわかるか。
17ただ、各自(かくじ)は、(しゅ)から(たま)わった(ぶん)(おう)じ、また(かみ)()されたままの状態(じょうたい)にしたがって、(あゆ)むべきである。これが、すべての教会(きょうかい)(たい)してわたしの(めい)じるところである。 18()されたとき割礼(かつれい)()けていたら、その(あと)をなくそうとしないがよい。また、()されたとき割礼(かつれい)()けていなかったら、割礼(かつれい)()けようとしないがよい。 19割礼(かつれい)があってもなくても、それは問題(もんだい)ではない。大事(だいじ)なのは、ただ(かみ)(いまし)めを(まも)ることである。 20各自(かくじ)は、()されたままの状態(じょうたい)にとどまっているべきである。 21()されたとき奴隷(どれい)であっても、それを()にしないがよい。しかし、もし自由(じゆう)()になりうるなら、むしろ自由(じゆう)になりなさい。 22(しゅ)にあって()された奴隷(どれい)は、(しゅ)によって自由人(じゆうじん)とされた(もの)であり、また、()された自由人(じゆうじん)はキリストの奴隷(どれい)なのである。 23あなたがたは、代価(だいか)(はら)って()いとられたのだ。(ひと)奴隷(どれい)となってはいけない。 24兄弟(きょうだい)たちよ。各自(かくじ)は、その()されたままの状態(じょうたい)で、(かみ)のみまえにいるべきである。
25おとめのことについては、わたしは(しゅ)命令(めいれい)()けてはいないが、(しゅ)のあわれみにより(しん)(にん)()けている(もの)として、意見(いけん)()べよう。 26わたしはこう(かんが)える。現在(げんざい)(せま)っている危機(きき)のゆえに、(ひと)現状(げんじょう)にとどまっているがよい。 27もし(つま)(むす)ばれているなら、()こうとするな。(つま)(むす)ばれていないなら、(つま)(むか)えようとするな。 28しかし、たとい結婚(けっこん)しても、(つみ)(おか)すのではない。また、おとめが結婚(けっこん)しても、(つみ)(おか)すのではない。ただ、それらの人々(ひとびと)はその()苦難(くなん)()けるであろう。わたしは、あなたがたを、それからのがれさせたいのだ。 29兄弟(きょうだい)たちよ。わたしの()うことを()いてほしい。(とき)(ちぢ)まっている。(いま)からは(つま)のある(もの)はないもののように、 30()(もの)()かないもののように、(よろこ)(もの)(よろこ)ばないもののように、()(もの)()たないもののように、 31()交渉(こうしょう)のある(もの)は、それに(ふか)()りしないようにすべきである。なぜなら、この()有様(ありさま)()()るからである。 32わたしはあなたがたが、(おも)(わずら)わないようにしていてほしい。未婚(みこん)男子(だんし)(しゅ)のことに(こころ)をくばって、どうかして(しゅ)(よろこ)ばせようとするが、 33結婚(けっこん)している男子(だんし)はこの()のことに(こころ)をくばって、どうかして(つま)(よろこ)ばせようとして、その(こころ)(わか)れるのである。 34未婚(みこん)婦人(ふじん)とおとめとは、(しゅ)のことに(こころ)をくばって、()(たましい)もきよくなろうとするが、結婚(けっこん)した婦人(ふじん)はこの()のことに(こころ)をくばって、どうかして(おっと)(よろこ)ばせようとする。 35わたしがこう()うのは、あなたがたの利益(りえき)になると(おも)うからであって、あなたがたを束縛(そくばく)するためではない。そうではなく、(ただ)しい生活(せいかつ)(おく)って、余念(よねん)なく(しゅ)奉仕(ほうし)させたいからである。
36もしある(ひと)が、相手(あいて)のおとめに(たい)して、(じょう)(ねつ)をいだくようになった場合(ばあい)、それは適当(てきとう)でないと(おも)いつつも、やむを()なければ、(のぞ)みどおりにしてもよい。それは(つみ)(おか)すことではない。ふたりは結婚(けっこん)するがよい。 37しかし、(かれ)(こころ)(うち)(かた)決心(けっしん)していて、無理(むり)をしないで自分(じぶん)(おも)いを(せい)することができ、その(うえ)で、相手(あいて)のおとめをそのままにしておこうと、(こころ)(なか)()めたなら、そうしてもよい。 38だから、相手(あいて)のおとめと結婚(けっこん)することはさしつかえないが、結婚(けっこん)しない(ほう)がもっとよい。 39(つま)(おっと)()きている(あいだ)は、その(おっと)につながれている。(おっと)()ねば、(のぞ)(ひと)結婚(けっこん)してもさしつかえないが、それは(しゅ)にある(もの)とに(かぎ)る。 40しかし、わたしの意見(いけん)では、そのままでいたなら、もっと幸福(こうふく)である。わたしも(かみ)(れい)()けていると(おも)う。

第八章

1偶像(ぐうぞう)への(そな)(もの)について(こた)えると、「わたしたちはみな知識(ちしき)()っている」ことは、わかっている。しかし、知識(ちしき)(ひと)(ほこ)らせ、(あい)(ひと)(とく)(たか)める。 2もし(ひと)が、自分(じぶん)(なに)()っていると(おも)うなら、その(ひと)は、()らなければならないほどの(こと)すら、まだ()っていない。 3しかし、(ひと)(かみ)(あい)するなら、その(ひと)(かみ)()られているのである。 4さて、偶像(ぐうぞう)への(そな)(もの)()べることについては、わたしたちは、偶像(ぐうぞう)なるものは実際(じっさい)()存在(そんざい)しないこと、また、唯一(ゆいいつ)(かみ)のほかには(かみ)がないことを、()っている。 5というのは、たとい神々(かみがみ)といわれるものが、あるいは(てん)に、あるいは()にあるとしても、そして、(おお)くの(かみ)(おお)くの(しゅ)があるようではあるが、 6わたしたちには、(ちち)なる唯一(ゆいいつ)(かみ)のみがいますのである。万物(ばんぶつ)はこの(かみ)から()て、わたしたちもこの(かみ)()する。また、唯一(ゆいいつ)(しゅ)イエス・キリストのみがいますのである。万物(ばんぶつ)はこの(しゅ)により、わたしたちもこの(しゅ)によっている。 7しかし、この知識(ちしき)をすべての(ひと)()っているのではない。ある人々(ひとびと)は、偶像(ぐうぞう)についての、これまでの習慣上(しゅうかんじょう)偶像(ぐうぞう)への(そな)(もの)として、それを()べるが、(かれ)らの良心(りょうしん)が、(よわ)いために(けが)されるのである。 8食物(しょくもつ)は、わたしたちを(かみ)(みちび)くものではない。()べなくても(そん)はないし、()べても(えき)にはならない。 9しかし、あなたがたのこの自由(じゆう)が、(よわ)(もの)たちのつまずきにならないように、()をつけなさい。 10なぜなら、ある(ひと)が、知識(ちしき)のあるあなたが偶像(ぐうぞう)(みや)食事(しょくじ)をしているのを()場合(ばあい)、その(ひと)良心(りょうしん)(よわ)いため、それに「教育(きょういく)されて」、偶像(ぐうぞう)への(そな)(もの)()べるようにならないだろうか。 11するとその(よわ)(ひと)は、あなたの知識(ちしき)によって(ほろ)びることになる。この(よわ)兄弟(きょうだい)のためにも、キリストは()なれたのである。 12このようにあなたがたが、兄弟(きょうだい)たちに(たい)して(つみ)(おか)し、その(よわ)良心(りょうしん)(いた)めるのは、キリストに(たい)して(つみ)(おか)すことなのである。 13だから、もし食物(しょくもつ)がわたしの兄弟(きょうだい)をつまずかせるなら、兄弟(きょうだい)をつまずかせないために、わたしは永久(えいきゅう)に、(だん)じて(にく)()べることはしない。

第九章

1わたしは自由(じゆう)(もの)ではないか。使徒(しと)ではないか。わたしたちの(しゅ)イエスを()たではないか。あなたがたは、(しゅ)にあるわたしの(はたら)きの()ではないか。 2わたしは、ほかの(ひと)(たい)しては使徒(しと)でないとしても、あなたがたには使徒(しと)である。あなたがたが(しゅ)にあることは、わたしの使徒(しと)(しょく)(しるし)なのである。 3わたしの批判者(ひはんしゃ)たちに(たい)する弁明(べんめい)は、これである。 4わたしたちには、()()いをする権利(けんり)がないのか。 5わたしたちには、ほかの使徒(しと)たちや(しゅ)兄弟(きょうだい)たちやケパのように、信者(しんじゃ)である(つま)()れて(ある)権利(けんり)がないのか。 6それとも、わたしとバルナバとだけには、労働(ろうどう)をせずにいる権利(けんり)がないのか。 7いったい、自分(じぶん)費用(ひよう)()して軍隊(ぐんたい)(くわ)わる(もの)があろうか。ぶどう(はたけ)(つく)っていて、その()()べない(もの)があろうか。また、(ひつじ)()っていて、その(ちち)()まない(もの)があろうか。 8わたしは、人間(にんげん)(かんが)えでこう()うのではない。律法(りっぽう)もまた、そのように()っているではないか。 9すなわち、モーセの律法(りっぽう)に、「穀物(こくもつ)をこなしている(うし)に、くつこをかけてはならない」と()いてある。(かみ)は、(うし)のことを(こころ)にかけておられるのだろうか。 10それとも、もっぱら、わたしたちのために()っておられるのか。もちろん、それはわたしたちのためにしるされたのである。すなわち、(たがや)(もの)(のぞ)みをもって(たがや)し、穀物(こくもつ)をこなす(もの)は、その()(まえ)をもらう(のぞ)みをもってこなすのである。 11もしわたしたちが、あなたがたのために(れい)のものをまいたのなら、(にく)のものをあなたがたから()りとるのは、()()ぎだろうか。 12もしほかの人々(ひとびと)が、あなたがたに(たい)するこの権利(けんり)にあずかっているとすれば、わたしたちはなおさらのことではないか。しかしわたしたちは、この権利(けんり)()(よう)せず、かえってキリストの福音(ふくいん)(さまた)げにならないようにと、すべてのことを(しの)んでいる。 13あなたがたは、宮仕(みやづか)えをしている(ひと)たちは(みや)から()がる(もの)()べ、祭壇(さいだん)奉仕(ほうし)している(ひと)たちは祭壇(さいだん)(そな)(もの)()(まえ)にあずかることを、()らないのか。 14それと同様(どうよう)に、(しゅ)は、福音(ふくいん)()(つた)えている(もの)たちが福音(ふくいん)によって生活(せいかつ)すべきことを、(さだ)められたのである。
15しかしわたしは、これらの権利(けんり)を一つも()(よう)しなかった。また、自分(じぶん)がそうしてもらいたいから、このように()くのではない。そうされるよりは、()(ほう)がましである。わたしのこの(ほこり)は、何者(なにもの)にも(うば)()られてはならないのだ。 16わたしが福音(ふくいん)()(つた)えても、それは(ほこり)にはならない。なぜなら、わたしは、そうせずにはおれないからである。もし福音(ふくいん)()(つた)えないなら、わたしはわざわいである。 17(すす)んでそれをすれば、報酬(ほうしゅう)()けるであろう。しかし、(すす)んでしないとしても、それは、わたしにゆだねられた(つとめ)なのである。 18それでは、その報酬(ほうしゅう)はなんであるか。福音(ふくいん)()(つた)えるのにそれを()代価(だいか)提供(ていきょう)し、わたしが宣教者(せんきょうしゃ)として()権利(けんり)()(よう)しないことである。
19わたしは、すべての(ひと)(たい)して自由(じゆう)であるが、できるだけ(おお)くの(ひと)()るために、(みずか)(すす)んですべての(ひと)奴隷(どれい)になった。 20ユダヤ(じん)には、ユダヤ(じん)のようになった。ユダヤ(じん)()るためである。律法(りっぽう)(もと)にある(ひと)には、わたし自身(じしん)律法(りっぽう)(もと)にはないが、律法(りっぽう)(もと)にある(もの)のようになった。律法(りっぽう)(もと)にある(ひと)()るためである。 21律法(りっぽう)のない(ひと)には——わたしは(かみ)律法(りっぽう)(そと)にあるのではなく、キリストの律法(りっぽう)(なか)にあるのだが——律法(りっぽう)のない(ひと)のようになった。律法(りっぽう)のない(ひと)()るためである。 22(よわ)(ひと)には(よわ)(もの)になった。(よわ)(ひと)()るためである。すべての(ひと)(たい)しては、すべての(ひと)のようになった。なんとかして幾人(いくにん)かを(すく)うためである。 23福音(ふくいん)のために、わたしはどんな(こと)でもする。わたしも(とも)福音(ふくいん)にあずかるためである。
24あなたがたは()らないのか。競技場(きょうぎじょう)(はし)(もの)は、みな(はし)りはするが、(しょう)()(もの)はひとりだけである。あなたがたも、(しょう)()るように(はし)りなさい。 25しかし、すべて競技(きょうぎ)をする(もの)は、(なに)ごとにも節制(せっせい)をする。(かれ)らは()ちる(かんむり)()るためにそうするが、わたしたちは()ちない(かんむり)()るためにそうするのである。 26そこで、わたしは目標(もくひょう)のはっきりしないような(はし)(かた)をせず、(くう)()つような拳闘(けんとう)はしない。 27すなわち、自分(じぶん)のからだを()ちたたいて服従(ふくじゅう)させるのである。そうしないと、ほかの(ひと)()(つた)えておきながら、自分(じぶん)失格者(しっかくしゃ)になるかも()れない。

第十章

1兄弟(きょうだい)たちよ。このことを()らずにいてもらいたくない。わたしたちの先祖(せんぞ)はみな(くも)(した)におり、みな(うみ)(とお)り、 2みな(くも)(なか)(うみ)(なか)で、モーセにつくバプテスマを()けた。 3また、みな(おな)(れい)食物(しょくもつ)()べ、 4みな(おな)(れい)()(もの)()んだ。すなわち、(かれ)らについてきた(れい)(いわ)から()んだのであるが、この(いわ)はキリストにほかならない。 5しかし、(かれ)らの(なか)大多数(だいたすう)は、(かみ)のみこころにかなわなかったので、荒野(あらの)(ほろ)ぼされてしまった。
6これらの出来事(できごと)は、わたしたちに(たい)する警告(けいこく)であって、(かれ)らが(あく)をむさぼったように、わたしたちも(あく)をむさぼることのないためなのである。 7だから、(かれ)らの(なか)のある(もの)たちのように、偶像(ぐうぞう)礼拝者(れいはいしゃ)になってはならない。すなわち、「(たみ)()して()()いをし、また()って(おど)(たわむ)れた」と()いてある。 8また、ある(もの)たちがしたように、わたしたちは不品行(ふひんこう)をしてはならない。不品行(ふひんこう)をしたため(たお)された(もの)が、一(にち)に二万三千(にん)もあった。 9また、ある(もの)たちがしたように、わたしたちは(しゅ)(こころ)みてはならない。(しゅ)(こころ)みた(もの)は、へびに(ころ)された。 10また、ある(もの)たちがつぶやいたように、つぶやいてはならない。つぶやいた(もの)は、「()使(つかい)」に(ほろ)ぼされた。 11これらの(こと)(かれ)らに(おこ)ったのは、(ほか)(たい)する警告(けいこく)としてであって、それが()かれたのは、()(おわ)りに(のぞ)んでいるわたしたちに(たい)する訓戒(くんかい)のためである。 12だから、()っていると(おも)(もの)は、(たお)れないように()をつけるがよい。 13あなたがたの()った試錬(しれん)で、()(つね)でないものはない。(かみ)真実(しんじつ)である。あなたがたを()えられないような試錬(しれん)()わせることはないばかりか、試錬(しれん)同時(どうじ)に、それに()えられるように、のがれる(みち)(そな)えて(くだ)さるのである。
14それだから、(あい)する(もの)たちよ。偶像(ぐうぞう)礼拝(れいはい)()けなさい。 15賢明(けんめい)なあなたがたに(うった)える。わたしの()うことを、(みずか)判断(はんだん)してみるがよい。 16わたしたちが祝福(しゅくふく)する祝福(しゅくふく)(さかずき)、それはキリストの()にあずかることではないか。わたしたちがさくパン、それはキリストのからだにあずかることではないか。 17パンが一つであるから、わたしたちは(おお)くいても、一つのからだなのである。みんなの(もの)が一つのパンを(とも)にいただくからである。 18(にく)によるイスラエルを()るがよい。(そな)(もの)()べる(ひと)たちは、祭壇(さいだん)にあずかるのではないか。 19すると、なんと()ったらよいか。偶像(ぐうぞう)にささげる(そな)(もの)は、(なに)意味(いみ)があるのか。また、偶像(ぐうぞう)(なに)かほんとうにあるものか。 20そうではない。人々(ひとびと)(そな)える(もの)は、悪霊(あくれい)ども、すなわち、(かみ)ならぬ(もの)(そな)えるのである。わたしは、あなたがたが悪霊(あくれい)仲間(なかま)になることを(のぞ)まない。 21(しゅ)(さかずき)悪霊(あくれい)どもの(さかずき)とを、同時(どうじ)()むことはできない。(しゅ)食卓(しょくたく)悪霊(あくれい)どもの食卓(しょくたく)とに、同時(どうじ)にあずかることはできない。 22それとも、わたしたちは(しゅ)のねたみを(おこし)そうとするのか。わたしたちは、(しゅ)よりも(つよ)いのだろうか。
23すべてのことは(ゆる)されている。しかし、すべてのことが(えき)になるわけではない。すべてのことは(ゆる)されている。しかし、すべてのことが(ひと)(とく)(たか)めるのではない。 24だれでも、自分(じぶん)(えき)(もと)めないで、ほかの(ひと)(えき)(もと)めるべきである。 25すべて市場(いちば)()られている(もの)は、いちいち良心(りょうしん)()うことをしないで、()べるがよい。 26()とそれに()ちている(もの)とは、(しゅ)のものだからである。 27もしあなたがたが、不信者(ふしんじゃ)のだれかに(まね)かれて、そこに()こうと(おも)場合(ばあい)自分(じぶん)(まえ)()される(もの)はなんでも、いちいち良心(りょうしん)()うことをしないで、()べるがよい。 28しかし、だれかがあなたがたに、これはささげ(もの)(にく)だと()ったなら、それを()らせてくれた(ひと)のために、また良心(りょうしん)のために、()べないがよい。 29良心(りょうしん)()ったのは、自分(じぶん)良心(りょうしん)ではなく、他人(たにん)良心(りょうしん)のことである。なぜなら、わたしの自由(じゆう)が、どうして他人(たにん)良心(りょうしん)によって左右(さゆう)されることがあろうか。 30もしわたしが感謝(かんしゃ)して()べる場合(ばあい)、その感謝(かんしゃ)する(もの)について、どうして(ひと)のそしりを()けるわけがあろうか。 31だから、()むにも()べるにも、また何事(なにごと)をするにも、すべて(かみ)栄光(えいこう)のためにすべきである。 32ユダヤ(じん)にもギリシヤ(じん)にも(かみ)教会(きょうかい)にも、つまずきになってはいけない。 33わたしもまた、何事(なにごと)にもすべての(ひと)(よろこ)ばれるように(つと)め、(おお)くの(ひと)(すく)われるために、自分(じぶん)(えき)ではなく(かれ)らの(えき)(もと)めている。

第十一章

1わたしがキリストにならう(もの)であるように、あなたがたもわたしにならう(もの)になりなさい。
2あなたがたが、(なに)かにつけわたしを(おぼ)えていて、あなたがたに(つた)えたとおりに言伝(いいつた)えを(まも)っているので、わたしは満足(まんぞく)(おも)う。 3しかし、あなたがたに()っていてもらいたい。すべての(おとこ)のかしらはキリストであり、(おんな)のかしらは(おとこ)であり、キリストのかしらは(かみ)である。 4(いのり)をしたり預言(よげん)をしたりする(とき)、かしらに(もの)をかぶる(おとこ)は、そのかしらをはずかしめる(もの)である。 5(いのり)をしたり預言(よげん)をしたりする(とき)、かしらにおおいをかけない(おんな)は、そのかしらをはずかしめる(もの)である。それは、(かみ)をそったのとまったく(おな)じだからである。 6もし(おんな)がおおいをかけないなら、(かみ)()ってしまうがよい。(かみ)()ったりそったりするのが、(おんな)にとって()ずべきことであるなら、おおいをかけるべきである。 7(おとこ)は、(かみ)のかたちであり栄光(えいこう)であるから、かしらに(もの)をかぶるべきではない。(おんな)は、また(おとこ)光栄(こうえい)である。 8なぜなら、(おとこ)(おんな)から()たのではなく、(おんな)(おとこ)から()たのだからである。 9また、(おとこ)(おんな)のために(つく)られたのではなく、(おんな)(おとこ)のために(つく)られたのである。 10それだから、(おんな)は、かしらに権威(けんい)のしるしをかぶるべきである。それは天使(てんし)たちのためでもある。 11ただ、(しゅ)にあっては、(おとこ)なしには(おんな)はないし、(おんな)なしには(おとこ)はない。 12それは、(おんな)(おとこ)から()たように、(おとこ)もまた(おんな)から(うま)れたからである。そして、すべてのものは(かみ)から()たのである。 13あなたがた自身(じしん)判断(はんだん)してみるがよい。(おんな)がおおいをかけずに(かみ)(いの)るのは、ふさわしいことだろうか。 14自然(しぜん)そのものが(おし)えているではないか。(おとこ)(なが)(かみ)があれば(かれ)(はじ)になり、 15(おんな)(なが)(かみ)があれば彼女(かのじょ)光栄(こうえい)になるのである。(なが)(かみ)はおおいの(かわ)りに(おんな)(あた)えられているものだからである。 16しかし、だれかがそれに反対(はんたい)意見(いけん)()っていても、そんな風習(ふうしゅう)はわたしたちにはなく、(かみ)(しょ)教会(きょうかい)にもない。
17ところで、(つぎ)のことを(めい)じるについては、あなたがたをほめるわけにはいかない。というのは、あなたがたの(あつ)まりが利益(りえき)にならないで、かえって損失(そんしつ)になっているからである。 18まず、あなたがたが教会(きょうかい)(あつ)まる(とき)、お(たがい)(あいだ)分争(ぶんそう)があることを、わたしは(みみ)にしており、そしていくぶんか、それを(しん)じている。 19たしかに、あなたがたの(なか)でほんとうの(もの)(あき)らかにされるためには、分派(ぶんぱ)もなければなるまい。 20そこで、あなたがたが一緒(いっしょ)(あつ)まるとき、(しゅ)晩餐(ばんさん)(まも)ることができないでいる。 21というのは、食事(しょくじ)(さい)各自(かくじ)自分(じぶん)晩餐(ばんさん)をかってに(さき)()べるので、()えている(ひと)があるかと(おも)えば、()っている(ひと)がある始末(しまつ)である。 22あなたがたには、()()いをする(いえ)がないのか。それとも、(かみ)教会(きょうかい)(かろ)んじ、(まず)しい人々(ひとびと)をはずかしめるのか。わたしはあなたがたに(たい)して、なんと()おうか。あなたがたを、ほめようか。この(こと)では、ほめるわけにはいかない。 23わたしは、(しゅ)から()けたことを、また、あなたがたに(つた)えたのである。すなわち、(しゅ)イエスは、(わた)される()、パンをとり、 24感謝(かんしゃ)してこれをさき、そして()われた、「これはあなたがたのための、わたしのからだである。わたしを記念(きねん)するため、このように(おこな)いなさい」。 25食事(しょくじ)ののち、(さかずき)をも(おな)じようにして()われた、「この(さかずき)は、わたしの()による(あたら)しい契約(けいやく)である。()むたびに、わたしの記念(きねん)として、このように(おこな)いなさい」。 26だから、あなたがたは、このパンを(しょく)し、この(さかずき)()むごとに、それによって、(しゅ)がこられる(とき)(いた)るまで、(しゅ)()()()らせるのである。 27だから、ふさわしくないままでパンを(しょく)(しゅ)(さかずき)()(もの)は、(しゅ)のからだと()とを(おか)すのである。 28だれでもまず自分(じぶん)吟味(ぎんみ)し、それからパンを()(さかずき)()むべきである。 29(しゅ)のからだをわきまえないで()()いする(もの)は、その()()いによって自分(じぶん)にさばきを(まね)くからである。 30あなたがたの(なか)に、(よわ)(もの)病人(びょうにん)(おお)ぜいおり、また(ねむ)った(もの)(すく)なくないのは、そのためである。 31しかし、自分(じぶん)をよくわきまえておくならば、わたしたちはさばかれることはないであろう。 32しかし、さばかれるとすれば、それは、この()(とも)(つみ)(さだ)められないために、(しゅ)()らしめを()けることなのである。 33それだから、兄弟(きょうだい)たちよ。食事(しょくじ)のために(あつ)まる(とき)には、(たがい)()()わせなさい。 34もし空腹(くうふく)であったら、さばきを()けに(あつ)まることにならないため、(いえ)()べるがよい。そのほかの(こと)は、わたしが()った(とき)に、(さだ)めることにしよう。

第十二章

1兄弟(きょうだい)たちよ。(れい)賜物(たまもの)については、(つぎ)のことを()らずにいてもらいたくない。 2あなたがたがまだ異邦人(いほうじん)であった(とき)(さそ)われるまま、(もの)()えない偶像(ぐうぞう)のところに()かれて()ったことは、あなたがたの承知(しょうち)しているとおりである。 3そこで、あなたがたに()っておくが、(かみ)(れい)によって(かた)(もの)はだれも「イエスはのろわれよ」とは()わないし、また、聖霊(せいれい)によらなければ、だれも「イエスは(しゅ)である」と()うことができない。
4(れい)賜物(たまもの)種々(しゅじゅ)あるが、御霊(みたま)(おな)じである。 5(つとめ)種々(しゅじゅ)あるが、(しゅ)(おな)じである。 6(はたら)きは種々(しゅじゅ)あるが、すべてのものの(なか)(はたら)いてすべてのことをなさる(かみ)は、(おな)じである。 7各自(かくじ)御霊(みたま)(あらわ)れを(たま)わっているのは、全体(ぜんたい)(えき)になるためである。 8すなわち、ある(ひと)には御霊(みたま)によって知恵(ちえ)言葉(ことば)(あた)えられ、ほかの(ひと)には、(おな)御霊(みたま)によって知識(ちしき)(ことば)9またほかの(ひと)には、(おな)御霊(みたま)によって信仰(しんこう)、またほかの(ひと)には、一つの御霊(みたま)によっていやしの賜物(たまもの)10またほかの(ひと)には(ちから)あるわざ、またほかの(ひと)には預言(よげん)、またほかの(ひと)には(れい)()わける(ちから)、またほかの(ひと)には種々(しゅじゅ)異言(いげん)、またほかの(ひと)には異言(いげん)()(ちから)が、(あた)えられている。 11すべてこれらのものは、一つの(おな)御霊(みたま)(はたら)きであって、御霊(みたま)(おも)いのままに、それらを各自(かくじ)()(あた)えられるのである。
12からだが一つであっても肢体(したい)(おお)くあり、また、からだのすべての肢体(したい)(おお)くあっても、からだは一つであるように、キリストの場合(ばあい)同様(どうよう)である。 13なぜなら、わたしたちは(みな)、ユダヤ(じん)もギリシヤ(じん)も、奴隷(どれい)自由人(じゆうじん)も、一つの御霊(みたま)によって、一つのからだとなるようにバプテスマを()け、そして(みな)一つの御霊(みたま)()んだからである。 14実際(じっさい)、からだは一つの肢体(したい)だけではなく、(おお)くのものからできている。 15もし(あし)が、わたしは()ではないから、からだに(ぞく)していないと()っても、それで、からだに(ぞく)さないわけではない。 16また、もし(みみ)が、わたしは()ではないから、からだに(ぞく)していないと()っても、それで、からだに(ぞく)さないわけではない。 17もしからだ全体(ぜんたい)()だとすれば、どこで()くのか。もし、からだ全体(ぜんたい)(みみ)だとすれば、どこでかぐのか。 18そこで(かみ)御旨(みむね)のままに、肢体(したい)をそれぞれ、からだに(そな)えられたのである。 19もし、すべてのものが一つの肢体(したい)なら、どこにからだがあるのか。 20ところが実際(じっさい)肢体(したい)(おお)くあるが、からだは一つなのである。 21()()にむかって、「おまえはいらない」とは()えず、また(あたま)(あし)にむかって、「おまえはいらない」とも()えない。 22そうではなく、むしろ、からだのうちで(ほか)よりも(よわ)()える肢体(したい)が、かえって必要(ひつよう)なのであり、 23からだのうちで、(ほか)よりも()(おと)りがすると(おも)えるところに、ものを()せていっそう()よくする。(うるわ)しくない部分(ぶぶん)はいっそう(うるわ)しくするが、 24(うるわ)しい部分(ぶぶん)はそうする必要(ひつよう)がない。(かみ)(おと)っている部分(ぶぶん)をいっそう()よくして、からだに調和(ちょうわ)をお(あた)えになったのである。 25それは、からだの(なか)分裂(ぶんれつ)がなく、それぞれの肢体(したい)(たがい)にいたわり()うためなのである。 26もし一つの肢体(したい)(なや)めば、ほかの肢体(したい)もみな(とも)(なや)み、一つの肢体(したい)(たっと)ばれると、ほかの肢体(したい)もみな(とも)(よろこ)ぶ。 27あなたがたはキリストのからだであり、ひとりびとりはその肢体(したい)である。 28そして、(かみ)教会(きょうかい)(なか)で、人々(ひとびと)()てて、(だい)一に使徒(しと)(だい)二に預言者(よげんしゃ)(だい)三に教師(きょうし)とし、(つぎ)(ちから)あるわざを(おこな)(もの)(つぎ)にいやしの賜物(たまもの)()(もの)、また補助者(ほじょしゃ)管理者(かんりしゃ)種々(しゅじゅ)異言(いげん)(かた)(もの)をおかれた。 29みんなが使徒(しと)だろうか。みんなが預言者(よげんしゃ)だろうか。みんなが教師(きょうし)だろうか。みんなが(ちから)あるわざを(おこな)(もの)だろうか。 30みんながいやしの賜物(たまもの)()っているのだろうか。みんなが異言(いげん)(かた)るのだろうか。みんなが異言(いげん)()くのだろうか。 31だが、あなたがたは、(さら)(おお)いなる賜物(たまもの)()ようと熱心(ねっしん)(つと)めなさい。そこで、わたしは(もっと)もすぐれた(みち)をあなたがたに(しめ)そう。

第十三章

1たといわたしが、人々(ひとびと)言葉(ことば)御使(みつかい)たちの言葉(ことば)(かた)っても、もし(あい)がなければ、わたしは、やかましい(かね)(さわ)がしい鐃鉢(にょうはち)(おな)じである。 2たといまた、わたしに預言(よげん)をする(ちから)があり、あらゆる奥義(おくぎ)とあらゆる知識(ちしき)とに(つう)じていても、また、(やま)(うつ)すほどの(つよ)信仰(しんこう)があっても、もし(あい)がなければ、わたしは()(ひと)しい。 3たといまた、わたしが自分(じぶん)(ぜん)財産(ざいさん)(ひと)(ほどこ)しても、また、自分(じぶん)のからだを()かれるために(わた)しても、もし(あい)がなければ、いっさいは無益(むえき)である。
4(あい)寛容(かんよう)であり、(あい)情深(なさけぶか)い。また、ねたむことをしない。(あい)(たか)ぶらない、(ほこ)らない、 5不作法(ぶさほう)をしない、自分(じぶん)利益(りえき)(もと)めない、いらだたない、(うら)みをいだかない。 6不義(ふぎ)(よろこ)ばないで真理(しんり)(よろこ)ぶ。 7そして、すべてを(しの)び、すべてを(しん)じ、すべてを(のぞ)み、すべてを()える。
8(あい)はいつまでも()えることがない。しかし、預言(よげん)はすたれ、異言(いげん)はやみ、知識(ちしき)はすたれるであろう。 9なぜなら、わたしたちの()るところは一部分(ぶぶん)であり、預言(よげん)するところも一部分(ぶぶん)にすぎない。 10(まった)きものが()(とき)には、部分(ぶぶん)(てき)なものはすたれる。 11わたしたちが(おさ)()であった(とき)には、(おさ)()らしく(かた)り、(おさ)()らしく(かん)じ、また、(おさ)()らしく(かんが)えていた。しかし、おとなとなった(いま)は、(おさ)()らしいことを()ててしまった。 12わたしたちは、(いま)は、(かがみ)(うつ)して()るようにおぼろげに()ている。しかしその(とき)には、(かお)(かお)とを()わせて、()るであろう。わたしの()るところは、(いま)は一部分(ぶぶん)にすぎない。しかしその(とき)には、わたしが完全(かんぜん)()られているように、完全(かんぜん)()るであろう。 13このように、いつまでも存続(そんぞく)するものは、信仰(しんこう)希望(きぼう)(あい)と、この三つである。このうちで(もっと)(おお)いなるものは、(あい)である。

第十四章

1(あい)()(もと)めなさい。また、(れい)賜物(たまもの)を、ことに預言(よげん)することを、熱心(ねっしん)(もと)めなさい。 2異言(いげん)(かた)(もの)は、(ひと)にむかって(かた)るのではなく、(かみ)にむかって(かた)るのである。それはだれにもわからない。(かれ)はただ、(れい)によって奥義(おくぎ)(かた)っているだけである。 3しかし預言(よげん)をする(もの)は、(ひと)(かた)ってその(とく)(たか)め、(かれ)(はげ)まし、(なぐさ)めるのである。 4異言(いげん)(かた)(もの)自分(じぶん)だけの(とく)(たか)めるが、預言(よげん)をする(もの)教会(きょうかい)(とく)(たか)める。 5わたしは実際(じっさい)、あなたがたがひとり(のこ)らず異言(いげん)(かた)ることを(のぞ)むが、(とく)預言(よげん)をしてもらいたい。教会(きょうかい)(とく)(たか)めるように異言(いげん)()かない(かぎ)り、異言(いげん)(かた)(もの)よりも、預言(よげん)をする(もの)(ほう)がまさっている。
6だから、兄弟(きょうだい)たちよ。たといわたしがあなたがたの(ところ)()って異言(いげん)(かた)るとしても、啓示(けいじ)知識(ちしき)預言(よげん)(おしえ)かを(かた)らなければ、あなたがたに、なんの(やく)()つだろうか。 7また、(ふえ)立琴(たてごと)のような楽器(がっき)でも、もしその(おと)変化(へんか)がなければ、(なに)()いているのか、()いているのか、どうして()ることができようか。 8また、もしラッパがはっきりした(おと)()さないなら、だれが戦闘(せんとう)準備(じゅんび)をするだろうか。 9それと同様(どうよう)に、もしあなたがたが異言(いげん)ではっきりしない言葉(ことば)(かた)れば、どうしてその(かた)ることがわかるだろうか。それでは、(くう)にむかって(かた)っていることになる。 10()には多種(たしゅ)多様(たよう)言葉(ことば)があるだろうが、意味(いみ)のないものは一つもない。 11もしその言葉(ことば)意味(いみ)がわからないなら、(かた)っている(ひと)にとっては、わたしは異国人(いこくじん)であり、(かた)っている(ひと)も、わたしにとっては異国人(いこくじん)である。 12だから、あなたがたも、(れい)賜物(たまもの)熱心(ねっしん)(もと)めている以上(いじょう)は、教会(きょうかい)(とく)(たか)めるために、それを(ゆた)かにいただくように(はげ)むがよい。
13このようなわけであるから、異言(いげん)(かた)(もの)は、自分(じぶん)でそれを()くことができるように(いの)りなさい。 14もしわたしが異言(いげん)をもって(いの)るなら、わたしの(れい)(いの)るが、知性(ちせい)()(むす)ばないからである。 15すると、どうしたらよいのか。わたしは(れい)(いの)ると(とも)に、知性(ちせい)でも(いのり)ろう。(れい)でさんびを(うた)うと(とも)に、知性(ちせい)でも(うた)おう。 16そうでないと、もしあなたが(れい)祝福(しゅくふく)言葉(ことば)(とな)えても、初心者(しょしんじゃ)(せき)にいる(もの)は、あなたの感謝(かんしゃ)(たい)して、どうしてアァメンと()えようか。あなたが(なに)()っているのか、(かれ)には(つう)じない。 17感謝(かんしゃ)するのは結構(けっこう)だが、それで、ほかの(ひと)(とく)(たか)めることにはならない。 18わたしは、あなたがたのうちのだれよりも(おお)異言(いげん)(かた)れることを、(かみ)感謝(かんしゃ)する。 19しかし教会(きょうかい)では、一万の言葉(ことば)異言(いげん)(かた)るよりも、ほかの(ひと)たちをも(おし)えるために、むしろ五つの言葉(ことば)知性(ちせい)によって(かた)(ほう)(ねが)わしい。
20兄弟(きょうだい)たちよ。(もの)(かんが)えかたでは、子供(こども)となってはいけない。悪事(あくじ)については(おさ)()となるのはよいが、(かんが)えかたでは、おとなとなりなさい。 21律法(りっぽう)にこう()いてある、「わたしは、異国(いこく)(した)異国(いこく)のくちびるとで、この(たみ)(かた)るが、それでも、(かれ)らはわたしに(みみ)(かたむ)けない、と(しゅ)(おお)せになる」。 22このように、異言(いげん)信者(しんじゃ)のためではなく未信者(みしんじゃ)のためのしるしであるが、預言(よげん)未信者(みしんじゃ)のためではなく信者(しんじゃ)のためのしるしである。 23もし(ぜん)教会(きょうかい)一緒(いっしょ)(あつ)まって、全員(ぜんいん)異言(いげん)(かた)っているところに、初心者(しょしんじゃ)不信者(ふしんじゃ)かがはいってきたら、(かれ)らはあなたがたを気違(きちが)いだと()うだろう。 24しかし、全員(ぜんいん)預言(よげん)をしているところに、不信者(ふしんじゃ)初心者(しょしんじゃ)がはいってきたら、(かれ)良心(りょうしん)はみんなの(もの)()められ、みんなの(もの)にさばかれ、 25その(こころ)秘密(ひみつ)があばかれ、その結果(けっか)、ひれ()して(かみ)(おが)み、「まことに、(かみ)があなたがたのうちにいます」と告白(こくはく)するに(いた)るであろう。
26すると、兄弟(きょうだい)たちよ。どうしたらよいのか。あなたがたが一緒(いっしょ)(あつ)まる(とき)各自(かくじ)はさんびを(うた)い、(おしえ)をなし、啓示(けいじ)()げ、異言(いげん)(かた)り、それを()くのであるが、すべては(とく)(たか)めるためにすべきである。 27もし異言(いげん)(かた)(もの)があれば、ふたりか、(おお)くて三(にん)(もの)が、順々(じゅんじゅん)(かた)り、そして、ひとりがそれを()くべきである。 28もし()(もの)がいない(とき)には、教会(きょうかい)では(だま)っていて、自分(じぶん)(たい)しまた(かみ)(たい)して(かた)っているべきである。 29預言(よげん)をする(もの)場合(ばあい)にも、ふたりか三(にん)かが(かた)り、ほかの(もの)はそれを吟味(ぎんみ)すべきである。 30しかし、(せき)にいる()(もの)啓示(けいじ)()けた場合(ばあい)には、(はじ)めの(もの)(だま)るがよい。 31あなたがたは、みんなが(まな)びみんなが(すす)めを()けるために、ひとりずつ(のこ)らず預言(よげん)をすることができるのだから。 32かつ、預言者(よげんしゃ)(れい)預言者(よげんしゃ)服従(ふくじゅう)するものである。 33(かみ)()秩序(ちつじょ)(かみ)ではなく、平和(へいわ)(かみ)である。
聖徒(せいと)たちのすべての教会(きょうかい)(おこな)われているように、 34婦人(ふじん)たちは教会(きょうかい)では(だま)っていなければならない。(かれ)らは(かた)ることが(ゆる)されていない。だから、律法(りっぽう)(めい)じているように、服従(ふくじゅう)すべきである。 35もし(なに)(まな)びたいことがあれば、(いえ)自分(じぶん)(おっと)(たず)ねるがよい。教会(きょうかい)(かた)るのは、婦人(ふじん)にとっては()ずべきことである。 36それとも、(かみ)(ことば)はあなたがたのところから()たのか。あるいは、あなたがただけにきたのか。
37もしある(ひと)が、自分(じぶん)預言者(よげんしゃ)(れい)(ひと)であると(おも)っているなら、わたしがあなたがたに()いていることは、(しゅ)命令(めいれい)だと(みと)めるべきである。 38もしそれを無視(むし)する(もの)があれば、その(ひと)もまた無視(むし)される。
39わたしの兄弟(きょうだい)たちよ。このようなわけだから、預言(よげん)することを熱心(ねっしん)(もと)めなさい。また、異言(いげん)(かた)ることを(さまた)げてはならない。 40しかし、すべてのことを適宜(てきぎ)に、かつ秩序(ちつじょ)(ただ)して(おこな)うがよい。

第十五章

1兄弟(きょうだい)たちよ。わたしが以前(いぜん)あなたがたに(つた)えた福音(ふくいん)、あなたがたが()けいれ、それによって()ってきたあの福音(ふくいん)を、(おも)(おこ)してもらいたい。 2もしあなたがたが、いたずらに(しん)じないで、わたしの()(つた)えたとおりの言葉(ことば)(かた)(まも)っておれば、この福音(ふくいん)によって(すく)われるのである。 3わたしが(もっと)大事(だいじ)なこととしてあなたがたに(つた)えたのは、わたし自身(じしん)()けたことであった。すなわちキリストが、聖書(せいしょ)()いてあるとおり、わたしたちの(つみ)のために()んだこと、 4そして(ほうむ)られたこと、聖書(せいしょ)()いてあるとおり、三()()によみがえったこと、 5ケパに(あらわ)れ、(つぎ)に、十二(にん)(あらわ)れたことである。 6そののち、五百(にん)以上(いじょう)兄弟(きょうだい)たちに、同時(どうじ)(あらわ)れた。その(なか)にはすでに(ねむ)った(もの)たちもいるが、大多数(だいたすう)はいまなお生存(せいぞん)している。 7そののち、ヤコブに(あらわ)れ、(つぎ)に、すべての使徒(しと)たちに(あらわ)れ、 8そして最後(さいご)に、いわば、(つき)()らずに(うま)れたようなわたしにも、(あらわ)れたのである。 9実際(じっさい)わたしは、(かみ)教会(きょうかい)迫害(はくがい)したのであるから、使徒(しと)たちの(なか)でいちばん(ちい)さい(もの)であって、使徒(しと)()ばれる()うちのない(もの)である。 10しかし、(かみ)(めぐ)みによって、わたしは今日(こんにち)あるを()ているのである。そして、わたしに(たま)わった(かみ)(めぐ)みはむだにならず、むしろ、わたしは(かれ)らの(なか)のだれよりも(おお)(はたら)いてきた。しかしそれは、わたし自身(じしん)ではなく、わたしと(とも)にあった(かみ)(めぐ)みである。 11とにかく、わたしにせよ(かれ)らにせよ、そのように、わたしたちは()(つた)えており、そのように、あなたがたは(しん)じたのである。
12さて、キリストは死人(しにん)(なか)からよみがえったのだと()(つた)えられているのに、あなたがたの(なか)のある(もの)が、死人(しにん)復活(ふっかつ)などはないと()っているのは、どうしたことか。 13もし死人(しにん)復活(ふっかつ)がないならば、キリストもよみがえらなかったであろう。 14もしキリストがよみがえらなかったとしたら、わたしたちの宣教(せんきょう)はむなしく、あなたがたの信仰(しんこう)もまたむなしい。 15すると、わたしたちは(かみ)にそむく偽証人(ぎしょうにん)にさえなるわけだ。なぜなら、万一(まんいち)死人(しにん)がよみがえらないとしたら、わたしたちは(かみ)実際(じっさい)よみがえらせなかったはずのキリストを、よみがえらせたと()って、(かみ)(はん)するあかしを()てたことになるからである。 16もし死人(しにん)がよみがえらないなら、キリストもよみがえらなかったであろう。 17もしキリストがよみがえらなかったとすれば、あなたがたの信仰(しんこう)空虚(くうきょ)なものとなり、あなたがたは、いまなお(つみ)(なか)にいることになろう。 18そうだとすると、キリストにあって(ねむ)った(もの)たちは、(ほろ)んでしまったのである。 19もしわたしたちが、この()生活(せいかつ)でキリストにあって(たん)なる(のぞ)みをいだいているだけだとすれば、わたしたちは、すべての(ひと)(なか)(もっと)もあわれむべき存在(そんざい)となる。
20しかし事実(じじつ)、キリストは(ねむ)っている(もの)初穂(はつほ)として、死人(しにん)(なか)からよみがえったのである。 21それは、()がひとりの(ひと)によってきたのだから、死人(しにん)復活(ふっかつ)もまた、ひとりの(ひと)によってこなければならない。 22アダムにあってすべての(ひと)()んでいるのと(おな)じように、キリストにあってすべての(ひと)()かされるのである。 23ただ、各自(かくじ)はそれぞれの順序(じゅんじょ)(したが)わねばならない。最初(さいしょ)はキリスト、(つぎ)に、(しゅ)来臨(らいりん)(さい)してキリストに(ぞく)する(もの)たち、 24それから終末(しゅうまつ)となって、その(とき)に、キリストはすべての(きみ)たち、すべての権威(けんい)権力(けんりょく)とを()(ほろ)ぼして、(くに)(ちち)なる(かみ)(わた)されるのである。 25なぜなら、キリストはあらゆる(てき)をその(あし)もとに()(とき)までは、支配(しはい)(つづ)けることになっているからである。 26最後(さいご)(てき)として(ほろ)ぼされるのが、()である。 27(かみ)万物(ばんぶつ)(かれ)(あし)もとに(したが)わせた」からである。ところが、万物(ばんぶつ)(したが)わせたと()われる(とき)万物(ばんぶつ)(したが)わせたかたがそれに(ふく)まれていないことは、(あき)らかである。 28そして、万物(ばんぶつ)(かみ)(したが)(とき)には、御子(みこ)自身(じしん)もまた、万物(ばんぶつ)(したが)わせたそのかたに(したが)うであろう。それは、(かみ)がすべての(もの)にあって、すべてとなられるためである。
29そうでないとすれば、死者(ししゃ)のためにバプテスマを()ける人々(ひとびと)は、なぜそれをするのだろうか。もし死者(ししゃ)(まった)くよみがえらないとすれば、なぜ人々(ひとびと)死者(ししゃ)のためにバプテスマを()けるのか。 30また、なんのために、わたしたちはいつも危険(きけん)(おか)しているのか。 31兄弟(きょうだい)たちよ。わたしたちの(しゅ)キリスト・イエスにあって、わたしがあなたがたにつき()っている(ほこり)にかけて()うが、わたしは日々(ひび)()んでいるのである。 32もし、わたしが人間(にんげん)(かんが)えによってエペソで(けもの)(たたか)ったとすれば、それはなんの(やく)()つのか。もし死人(しにん)がよみがえらないのなら、「わたしたちは()()いしようではないか。あすもわからぬいのちなのだ」。 33まちがってはいけない。
(わる)(まじ)わりは、()いならわしをそこなう」。
34()ざめて()(ただ)し、(つみ)(おか)さないようにしなさい。あなたがたのうちには、(かみ)について無知(むち)人々(ひとびと)がいる。あなたがたをはずかしめるために、わたしはこう()うのだ。
35しかし、ある(ひと)()うだろう。「どんなふうにして、死人(しにん)がよみがえるのか。どんなからだをして()るのか」。 36おろかな(ひと)である。あなたのまくものは、()ななければ、()かされないではないか。 37また、あなたのまくのは、やがて()るべきからだをまくのではない。(むぎ)であっても、ほかの(たね)であっても、ただの(たね)(つぶ)にすぎない。 38ところが、(かみ)はみこころのままに、これにからだを(あた)え、その一つ一つの(たね)にそれぞれのからだをお(あた)えになる。 39すべての(にく)が、(おな)(にく)なのではない。(ひと)(にく)があり、(けもの)(にく)があり、(とり)(にく)があり、(さかな)(にく)がある。 40(てん)(ぞく)するからだもあれば、()(ぞく)するからだもある。(てん)(ぞく)するものの栄光(えいこう)は、()(ぞく)するものの栄光(えいこう)(ちが)っている。 41()栄光(えいこう)があり、(つき)栄光(えいこう)があり、(ほし)栄光(えいこう)がある。また、この(ほし)とあの(ほし)との(あいだ)に、栄光(えいこう)()がある。
42死人(しにん)復活(ふっかつ)も、また同様(どうよう)である。()ちるものでまかれ、()ちないものによみがえり、 43(いや)しいものでまかれ、栄光(えいこう)あるものによみがえり、(よわ)いものでまかれ、(つよ)いものによみがえり、 44(にく)のからだでまかれ、(れい)のからだによみがえるのである。(にく)のからだがあるのだから、(れい)のからだもあるわけである。 45聖書(せいしょ)に「最初(さいしょ)(ひと)アダムは()きたものとなった」と()いてあるとおりである。しかし最後(さいご)のアダムは(いのち)(あた)える(れい)となった。 46最初(さいしょ)にあったのは、(れい)のものではなく(にく)のものであって、その(のち)(れい)のものが()るのである。 47(だい)一の(ひと)()から()(つち)(ぞく)し、(だい)二の(ひと)(てん)から()る。 48この(つち)(ぞく)する(ひと)に、(つち)(ぞく)している人々(ひとびと)(ひと)しく、この(てん)(ぞく)する(ひと)に、(てん)(ぞく)している人々(ひとびと)(ひと)しいのである。 49すなわち、わたしたちは、(つち)(ぞく)している(かたち)をとっているのと同様(どうよう)に、また(てん)(ぞく)している(かたち)をとるであろう。
50兄弟(きょうだい)たちよ。わたしはこの(こと)()っておく。(にく)()とは(かみ)(くに)()ぐことができないし、()ちるものは()ちないものを()ぐことがない。 51ここで、あなたがたに奥義(おくぎ)()げよう。わたしたちすべては、(ねむ)(つづ)けるのではない。(おわ)りのラッパの(ひび)きと(とも)に、またたく(あいだ)に、一瞬(いっしゅん)にして()えられる。 52というのは、ラッパが(ひび)いて、死人(しにん)()ちない(もの)によみがえらされ、わたしたちは()えられるのである。 53なぜなら、この()ちるものは(かなら)()ちないものを()、この()ぬものは(かなら)()なないものを()ることになるからである。 54この()ちるものが()ちないものを()、この()ぬものが()なないものを()るとき、聖書(せいしょ)()いてある言葉(ことば)成就(じょうじゅ)するのである。
55()勝利(しょうり)にのまれてしまった。
()よ、おまえの勝利(しょうり)は、どこにあるのか。
()よ、おまえのとげは、どこにあるのか」。
56()のとげは(つみ)である。(つみ)(ちから)律法(りっぽう)である。 57しかし感謝(かんしゃ)すべきことには、(かみ)はわたしたちの(しゅ)イエス・キリストによって、わたしたちに勝利(しょうり)(たま)わったのである。 58だから、(あい)する兄弟(きょうだい)たちよ。(かた)()って(うご)かされず、いつも(ぜん)(りょく)(そそ)いで(しゅ)のわざに(はげ)みなさい。(しゅ)にあっては、あなたがたの労苦(ろうく)がむだになることはないと、あなたがたは()っているからである。

第十六章

1聖徒(せいと)たちへの献金(けんきん)については、わたしはガラテヤの(しょ)教会(きょうかい)(めい)じておいたが、あなたがたもそのとおりにしなさい。 2(しゅう)(はじ)めの()ごとに、あなたがたはそれぞれ、いくらでも収入(しゅうにゅう)(おう)じて()もとにたくわえておき、わたしが()いた(とき)になって(はじ)めて(あつ)めることのないようにしなさい。 3わたしが到着(とうちゃく)したら、あなたがたが(えら)んだ人々(ひとびと)手紙(てがみ)をつけ、あなたがたの(おく)(もの)()たせて、エルサレムに(おく)()すことにしよう。 4もしわたしも()(ほう)がよければ、一緒(いっしょ)()くことになろう。 5わたしは、マケドニヤを通過(つうか)してから、あなたがたのところに()くことになろう。マケドニヤは通過(つうか)するだけだが、 6あなたがたの(ところ)では、たぶん滞在(たいざい)するようになり、あるいは(ふゆ)()ごすかも()れない。そうなれば、わたしがどこへ()くにしても、あなたがたに(おく)ってもらえるだろう。 7わたしは(いま)、あなたがたに(たび)のついでに()うことは(この)まない。もし(しゅ)のお(ゆる)しがあれば、しばらくあなたがたの(ところ)滞在(たいざい)したいと(のぞ)んでいる。 8しかし五旬節(ごじゅんせつ)までは、エペソに滞在(たいざい)するつもりだ。というのは、有力(ゆうりょく)(はたら)きの(もん)がわたしのために(おお)きく(ひら)かれているし、 9また敵対(てきたい)する(もの)(おお)いからである。
10もしテモテが()いたら、あなたがたの(ところ)不安(ふあん)なしに()ごせるようにしてあげてほしい。(かれ)はわたしと同様(どうよう)に、(しゅ)のご(よう)にあたっているのだから。 11だれも(かれ)(かろ)んじてはいけない。そして、わたしの(ところ)()るように、どうか(かれ)(やす)らかに(おく)()してほしい。わたしは(かれ)兄弟(きょうだい)たちと一緒(いっしょ)()るのを()っている。 12兄弟(きょうだい)アポロについては、兄弟(きょうだい)たちと一緒(いっしょ)にあなたがたの(ところ)()くように、たびたび(すす)めてみた。しかし(かれ)には、(いま)()意志(いし)は、(まった)くない。適当(てきとう)機会(きかい)があれば、()くだろう。
13()をさましていなさい。信仰(しんこう)()ちなさい。(おとこ)らしく、(つよ)くあってほしい。 14いっさいのことを、(あい)をもって(おこな)いなさい。
15兄弟(きょうだい)たちよ。あなたがたに(すす)める。あなたがたが()っているように、ステパナの(いえ)はアカヤの初穂(はつほ)であって、(かれ)らは()をもって聖徒(せいと)奉仕(ほうし)してくれた。 16どうか、このような人々(ひとびと)と、またすべて(かれ)らと(とも)(はたら)(とも)(ろう)する人々(ひとびと)とに、(したが)ってほしい。 17わたしは、ステパナとポルトナトとアカイコとがきてくれたのを(よろこ)んでいる。(かれ)らはあなたがたの()りない(ところ)()たし、 18わたしの(こころ)とあなたがたの(こころ)とを、(やす)らかにしてくれた。こうした人々(ひとびと)は、(おも)んじなければならない。
19アジヤの(しょ)教会(きょうかい)から、あなたがたによろしく。アクラとプリスカとその(いえ)教会(きょうかい)から、(しゅ)にあって(こころ)からよろしく。 20すべての兄弟(きょうだい)たちから、よろしく。あなたがたも(たがい)に、きよい接吻(せっぷん)をもってあいさつをかわしなさい。
21ここでパウロが、()ずからあいさつをしるす。 22もし(しゅ)(あい)さない(もの)があれば、のろわれよ。マラナ・タ(われらの(しゅ)よ、きたりませ)。 23(しゅ)イエスの(めぐ)みが、あなたがたと(とも)にあるように。 24わたしの(あい)が、キリスト・イエスにあって、あなたがた一同(いちどう)(とも)にあるように。